こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第8章・・月あかりの散歩道・・・私とルナと一緒に月に想いを馳せて散歩しませんか~♪

30年目の12月1日

2022-12-01 15:02:06 | 病いと闘う

 

アメリカン・ブルーです。

 

12月の声を聞きました。
ついこの前まで紅葉が青い壁に美しかったIKEA前も、
街路樹の葉がどこかへ消えて、
素通しでその向こうが見えるようになりました。
12月の声を聞くと、
毎年、遥か彼方へ想いが飛びます。

 

    

 

夫が「悪性リンパ腫」と診断されて、
仙台市立病院へ入院したのが1992年12月1日・・・
まだ36歳の若さでした。
息子はまだ小学校に入学したばかり。
12月1日は初めてのマラソン大会の日。
入院準備をして、小学校へ行って・・・
元陸上部の夫は、
息子の傍を伴走してから病院へ向かいました。
少し遅れてしまったので、
看護師さんからは「逃げたかと思いましたよ~」
そう言われてしまいました。

初めて私は主治医の先生から夫の病状を詳しく聞き、
目の前が真っ暗になる想いでした。
「まずは2年頑張ろう~」
生存確率60%は先生のご厚意の確率だったろうと・・・
それでも夫には70%と噓を告げた、、、
今でもあの日が忘れられません。


今日で30年の際月を越えます。


ひたすら、本人の努力と、
医学の進歩のお陰だと思っています。
昨年、65歳で退職するまで、
いったい、どれだけの入退院、
抗がん剤治療をした事か。。。


何かを得るためには何かを失う・・・


抗がん剤の影響で不整脈を発症し、
心臓が悪くなり「ICD」を植えこみました。
80代の心臓と言われながら、
無事に昨年退職に至ったのは、
「奇跡」だと思いました。

 

        

 

いつの日からか、
私にとって、12月1日が「元旦」になりました。
今年もまた今日からが一歩です。

夫は、健康だった36年、
あらゆる先端医療を駆使し、
病気と闘い続けた30年・・・
「まだまだだ・・・」
36年が経ったらその時は勝利!!
そう言っています。

72歳、その時は、「一病息災」
勝利宣言をしましょう!!


 

私の30年を知る友人たちへ

お陰様で今年も2人揃って12月1日を迎えました。
諦めなかった時間は、
ひとり息子だった我が家の3人家族が、
いま、6人に増えて、
それだけでも十二分な気持ちの毎日です。

あの日の凍るような気持ちを
支え続けてくれた友人たちに「感謝の日」です。

ずっと、ずっと支えてもらって、
本当にありがとうございます。
また、ここから~(*´▽`*)

宜しくお願い致します。

 

 

 

コメント (14)
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