運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
知恵と勘を磨きながら、心の動きを探求。

これぞ、レジェンドだ! 

2014年02月18日 23時57分58秒 | 日記

葛西選手の過去、生い立ちをはじめて記事で読んだ時には、本当にびっくりしました。
不屈の精神という言葉も有りますが、ここまで頑張れる人は少ないよなと。

環境が恵まれない人には、めっちゃパワーを頂いたハズですよね。

肉親への思いが原動力。
これが一番だと証明してくれたような気がします。

今日は号外が出ました。
朝、寒気がするので病院にタクシーで行ったとき、運転手さんが「号外いりませんか?」と。

えっ!何所で貰ったんですか?と聞くと、「お客さんに差し上げる為に会社で何部かくれるんです。」と。

号外を見ながら、自分の過去は本当にめちゃくちゃだったからな~と、親不孝の数々を反省。


【ジャンプ】葛西「メダルを取って恩返し」家族に感謝(スポーツ報知) - goo ニュース

 ◆ソチ冬季五輪第9日 ▽ジャンプ男子個人ラージヒル決勝(15日、ルスキエ・ゴルキ・ジャンピング・センター) これぞ、レジェンドだ! 個人ラージヒルが行われ、史上最多タイの7大会連続出場を果たした葛西紀明(41)=土屋ホーム=が、銀メダルを獲得した。五輪ジャンプ競技、冬季五輪日本人としても史上最年長メダリストとなった。1回目に139メートルで2位につけると、2回目は133・5メートルの合計277・4点。カミル・ストッホ(ポーランド)にわずか1・3点差届かずに金メダルを逃したが、念願の個人戦メダルを獲得した。葛西は17日の男子ラージヒル団体戦に出場する。

 試合後の会見場、葛西は神妙な面持ちで家族への感謝の言葉を口にした。「ぼくを産んでくれた両親、育ててくれた姉、妹。みんなぼくのことを応援してくれた。ずっとメダルを取って恩返しと考えていた」。肉親への思いは、葛西をここまで駆り立てた原動力だった。

 「小さい頃、すごい貧乏だったんですよ。電話もなかったし、米も食べることができない時もあった」。そんな中、8歳からジャンプを続けてこられたのは、母・幸子さん(享年48歳)の存在があったからだ。遠征費や用具代をまかなうために「朝、昼、晩と働いていた。借金してまでやってくれたんじゃないですかね。そんな母さんに家を建てるために頑張ってきた」。だが、幸子さんは97年6月に火事に巻き込まれ他界した。

 11か月間の闘病中、皮膚移植を繰り返していた幸子さんからの手紙があった。「つらい時期だと思うが、どんなに落ちても地獄からはい上がってくる息子を楽しみにしている」。最後には、いつも「迷惑ばかりかけたね」と書かれていた。痛みに耐え、震える字で書かれた手紙。「ペンを持つのもやっとの状況でつらさが伝わってくる。それを考えれば、どんなことでも乗り越えられる」

 妹の久美子さん(36)は00年に難病にかかり、何度も手術を受けた。放射線治療などの苦痛も知っている。「自分のつらさなんて比較にならない」(葛西)。今、久美子さんは肺炎をこじらせるなどして入院中だが、病室のテレビで観戦していたという。メダル獲得を見届けると、LINEで「うれしい」と送ってきたという。10季ぶりにW杯優勝した1月11日は、父・利紀さん(72)の誕生日だったという。

 この日、北海道・名寄市の自宅で家族とテレビ観戦した姉・紀子さん(44)は、メダルを決めた瞬間、絶叫して涙を流した。「金メダルは逃したけど、銀でも大満足です」。葛西の活躍に感動したという。

 葛西は以前、母からの手紙をいつも3通持ち歩いていた。つらいときは手紙を読んで涙を流し、奮起していた。だが、ソチには持ってこなかった。「自分の気持ちが弱いときに読んでいた。今季は強い気持ちでやってこれた。頼らないでやれた」。この日、見せた雄姿。胸を張って天に報告することができる。


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