荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「おぐぎんざ」

2025年02月03日 | 散文

寂しい「はっぴいもーる熊野前」商店街に繋がって、「おぐぎんざ」が存ります。このまま散策します。

道幅は狭いけど、一見して賑わっているのが分かります。

「はっぴいもーる熊野前」と何が違うのだろう?と思いながら歩きます。道幅は狭いです。

商店街らしい店舗が並んでいます。

これくらい繁盛店が並んでいると、買い物も楽しいでしょうね。

やがて商店街の終了です。

振り返ります。商店街の終点は何処も一緒で寂しいです。

客の少ない「はっぴいもーる熊野前」との違いは、「下町名物 第1・第3土曜日 ふれあい夕市」催行の有無でしょうか? 販売促進活動って大事だと思います。

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「航空界初期の事故」碑が有る「はっぴいもーる熊野前」

2025年02月03日 | 散文

前からこの存在は知っていましたが、スルーしていました。でも先日、スルーしていたら「下瀬火薬」製造の地に気付かないまま過ごしてしまっていた事を知りました。反省して読みます。

「航空界初期の事故 わが国の初飛行は、明治四十三年(1910)のことで、徳川好敏大尉が代々木練兵場で高度七十メートルで約三千メートルの距離を飛んでいる。それから七年後にして尊い犠牲が生まれた。陸軍工兵中尉杉野治義(二十七歳)が、陸軍野外飛行で下志津から高度五百メートルで所沢へ帰航中、突風に襲われて尾久村の水田に墜落したのである。大正六年(1917)3月25日、午前十一時四十分のできごとであった。 荒川区教育委員会」

「杉野中尉殉難遺跡」です。大きな石碑です。大正初期、界隈が水田だった頃の話です。それにしても立派な石碑です。大きな石碑を建てた理由が他にもあるのか? 日本で初めての墜落死亡事故とか?杉野中尉が貴族だったとか?

それに対して小さな公園です。公園にすると理由付けて石碑を建てたとかしか思えません。それでも二人掛けのベンチが2個有ります。一休みの需要がある(あった)のでしょう。

石碑の前は商店街です。左右の景色です。

一般より広い道路の商店街ですが、民家ばかりで、名ばかり商店街になりつつあります。

数年前は結構賑わった商店街でした。どうしたんだろう?ポイントに魅力が無くなったのだろうか?PayPayの時代に、ポイントカードを持ってハンコを押してもらうの面倒だものね。

この話、続きます。

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