千住元宿に古い道標が立っています。もう文字は読めません。この街道は古くからある道です。
隣の説明板です。
葛飾北斎は富士山を描くのに、千住から3地点を選びました。ここの位置は、①です。
右上の絵は、葛飾北斎作「富嶽三十六景 武州千住」です。この場所から富士山を望む絵です。ここが土手の上で、荒川(現隅田川)の右向こうに富士山が見えます。
左上の説明絵図によると、江戸時代には富士山と江戸城が見えたようです。この説明板の前は、荒川に注ぐ「元宿堀」という運河です。元宿堀の傍には神社が在ります。今の「元宿堰稲荷神社」だと思います。昭和33年には、江戸城に代わって東京タワーが見えます。そして、荒川に「尾竹橋」が架けられて、「元宿小学校」と「おばけ煙突」が見えています。
平成24年になると、スカイツリーが建ちます。元宿小学校が「帝京科学大学」に代わります。更に、「おばけ煙突」が無くなります。
左下は、「元宿小学校」と「元宿堀」の写真です。
さて、現在の姿です。正面には「元宿小学校」に代わって「帝京科学大学」です。「元宿堀」は消滅しています。
尾竹橋から見る現在の隅田川(旧荒川)です。茶色の建物が帝京科学大学(元宿小学校が在った場所)で、右の紅白の塔が東京電力(旧千住火力発電所が在った場所)です。おばけ煙突は、その間の空間の位置にそびえていました。
帝京科学大学へ行きます。大きな輪っかの上半分は、おばけ煙突を解体したときに、元宿小学校に寄贈した煙突の一部です。帝京科学大学が引き継ぎました。
この建物の向こうに、写真のように煙突が立っていました。
おばけ煙突の縮小モデルです。見る位置によって、1本から4本に変わります。
鉄塔の手前の白い建物辺りに立っていました。
元宿神社は、葛飾北斎が富嶽三十六景を描いた時代からここに在って、
大正末に千住火力発電所ができた時から「千住四本煙突守護神社」となって今に至ります。
更に、葛飾北斎が富士山を描いた地は、日活映画が撮った「いつでも夢を」の舞台になったのでした。
歴史のある町千住元宿は、次は何を後世に残すのでしょうか?