さて、とっくに民家だけになっている「京成江戸川商栄会」商店街は、京成江戸川駅のすぐ南で終わりになります。
そこに古い石柱が有ります。
そして説明板が有ります。なるほど、市川の関所ですか?その関所を通ると、正面にこの道標が見えたのですか?
よく見ると、「右いち川みち」と読めます。
右とは、そこの三叉路を行く訳ですね。
すぐそこに江戸川の土手が見えます。
ここにも、小岩菖蒲園の土手上から見たのと同じ、商店街の出入り口の看板が有ります。
土手の斜め向こうが小岩菖蒲園です。
土手の石段を上がります。
土手上に説明板が有りました。
左の鉄橋の向こうが小岩菖蒲園です。
右には国道14号線(千葉街道)の「市川橋」です。鉄道と道路で、東京と千葉を結ぶ場所です。重要な交通の拠点だと分かります。
そうなんです。ここが「小岩市川の渡し跡」であり、「小岩市川関所跡」なんです。
当時の渡しと関所の絵です。対岸の千葉左側が高台になっているのが分かります。現在も残る、国府台に続く地形です。
地図も有ります。上部にある「佐倉道」と「御番所町」の部分が、今立っている場所です。
説明板の裏側です。ここに関所と渡しがあったようです。
振り返ります。渡しを降りて、関所を抜けて、この土手を降りて行った訳です。
そして、商店街の入口になります。
道標の場所まで戻りました。ここからあの土手の間の道の左右に、旅籠とか休憩所とか団子屋とかが在ったに違いありません。賑わいの道だったと思います。そしてここが、今は寂れた「京成江戸川商栄会」の発祥の地だったのではないでしょうか?
前回「男はつらいよ」の撮影現場を訪ねて来た時に感じた疑問が、再訪したことによって確信に変わっている次第です。