荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「小村井香取神社」の梅が見頃です。

2024年02月16日 | 散文

墨田区文化の香取神社の梅園は徳川将軍観梅の場所でした。規模が小さくなっても観梅の名所です。

見頃の梅をご覧あれ。

こんなに咲いているのに、梅まつりは明日からです。で、祭りが終わるのは3月3日です。途中でもう花が終わりそうです。

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「明神都電車庫跡公園」に出逢った。

2024年02月16日 | 散文

本駒込の路地を走っていたら偶然出逢いました。

公園です。隅には遊具が有ります。全体にまだ新しいように見えます。

大きな集合住宅と併設の公園です。

そこに都電が展示されています。

これは無蓋車です。初めて見ました。こんなタイプも有ったんですね。

説明書きを読みます。「乙1型(乙2号)  乙1型は昭和16年(1942年)古い電車の台車や車体を利用し2両製造されました。第2次世界対戦中は輸送燃料節約のため、日用品や食料などいろいろな物資を運んでいました。多くの車両が戦争による被害を受けましたが、乙2号は幸いにも戦火を免れ、戦後は軌道敷の砕石などの資材輸送に活躍し、昭和46年3月(1946年3月)に廃車になりました。その後公園にやって来ました。」

なお、型式等の説明は後ほど掲載します。

パンタグラフも付いています。

こちらは客車です。須田町行きです。

 

「6000型(6063号)6000型は昭和22年3月(1949年3月)に製造され、青山、大久保、南千住車庫を経て、昭和42年(1967年年)から昭和45年(1970年)までこの場所にあった神明町車庫で点検され仕事をしていました。神明町車庫がなくなった後は現在の荒川線(東京さくらトラム)で昭和53年(1978年)まで活躍し、この公園にやってきました。」

説明板です。

昭和40年代まで都内を縦横に走っていたらしい都電です。その車庫の一つがここに保存されています。「鉄ちゃん」じゃないけど、暫く経った頃に再訪したいです。

問題は、今回偶然に出逢いました。そして私が方向音痴だということです。

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亀戸天神の梅が見頃です。

2024年02月15日 | 散文

亀戸天神の入り口です。椿と梅が満開です。

境内を巡ります。

梅祭りの準備ですがこの陽気です。既に見頃です。

 

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駐車場の先に廃墟が在った。

2024年02月15日 | 散文

墨田区文化の路を走っていたら新しく駐車場ができていました。いつものことですが、ここに何が在ったのか覚えていません。

駐車場の奥に、無くなった建物が隠していた廃墟が現れました。行ってみます。

右端は倉庫です。

廃墟を眺めます。

駐車場の北と西に、2つのアパートが在ったようです。いつ廃墟になったかは分かりません。

西のアパートを見ます。

2階の部屋のドアが開いたままです。

1階の部屋のドアも開いたままです。

北側のアパートです。

2階への階段が有ります。

西側のアパートに戻ります。

1階の開いたドアを覗きます。

2階を見上げます。

北側のアパートです。空調機を据えた跡が、生活の一端を覗かせています。

ここでどんな人生が営まれていたのでしょうか?

いずれ消滅する廃墟です。

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男はつらいよ/さくらが通う道

2024年02月14日 | 散文

タイトルを書きかけてふと思いました。さくらって、とらやに勤めているのだろうか?おじちゃんおばちゃんとご飯を食べて、夫の博もご飯を食べて・・・?手伝っていても給料は貰ってないのでは?   ・・・まあいい。話を進めます。

さくらが自転車でやって来ます。危なかっしい江戸川土手上のカーブです。

<現場>

三角形の頂点が無くなっていますが、ここだと思いました。正面奥に給水塔も見えます。でも、道路の三角が鋭角過ぎます。

ふと、映画に有る土手上の地図が背後に有りません。地図はここです。

地図の位置から判断すると、ここら辺ですね。江戸川土手はよく変わります。昔は土手上を自動車が走っていました。つまり、この辺から下の坂に続いていたのだと思います。

江戸川土手を降りればすぐに帝釈天です。正門に回ります。

<現場>

正面は、第8作でマドンナ池内淳子さんが営む喫茶店で登場しています。

今日も門前を掃除している御前様に挨拶します。

<現場>

今日も源ちゃんが叱られています。

<現場>

さくらは帝釈天の門前を右折します。

<現場>

そこは帝釈天の表参道商店街「神明会」です。

<現場>

この商店街に車は入れません。映画の中だけの話です。

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「地蔵通り商店街」

2024年02月14日 | 散文

何度か目の訪問です。早稲田大学の近くの新宿区山吹町に在ります。たぶんお地蔵さんがあるのだろうな、と思っていて、商店街とその周辺を探した事があります。

驚きました! 商店街を入った所に在りました。「子育地蔵尊 延命講」です。呆気なく見つかりました。今まで商店街に入って、その中心部を探していました。お参りしているのはお母さんでしょうか?

小綺麗な商店街です。

手焼きせんべいです。店の中右で焼いています。

裸電球が好いです。でも、もう終わりです。

地蔵通り商店街は各所に在ります。ここは小綺麗な300mくらいの商店街です。

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三四郎池の冬景

2024年02月14日 | 散文

いつもの坂を降ります。常緑樹が多いせいか季節感がありません。

三四郎池に水が満ちていました。鏡の水面です。

橋を渡ります。

開けた場所には風が吹きます。

誰も居ません。

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東京大学本郷キャンパスの冬景

2024年02月13日 | 散文

本郷通りに陽が注ぎます。空には全く雲が無くピーカンです。

東京大学本郷キャンパスの正門です。イチョウ並木です。

工学部前の名物大銀杏へ行きます。

黄葉の頃とは大違いです。人が疎らです。

キャンパスを歩きます。

安田講堂です。

東京大学の冬景です。

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東京大学農学部キャンパスの冬景

2024年02月13日 | 散文

東京大学農学部キャンパスの冬景です。

忠犬ハチ公と上野博士に木漏れ日が注ぎます。

 

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「レストランアブルボア」の冬景

2024年02月13日 | 散文

東京大学農学部キャンパスに在ります。レストランアブルボアです。

今日のメニューです。安いです。

庭に降ります。

さて、カキフライ定食かな?

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もう名前が無くなった元商店街

2024年02月12日 | 散文

人通りが無い路地です。堀切の路地です。

営業していないのかな?

何屋だろう?

路地を行きます。

営業していないようです。

コインランドリーが在りました。元は銭湯だったのでしょうね。

居酒屋は夜の商売なので、営業の有無は不明です。

あ、営業中です。定食を扱っています。まるで砂漠のオアシスみたいに安心した「営業中」の札です。

もう営業中の電気屋を見ることはありません。

端まで来て振り返ります。

ここに商店街のアーチなんかが有って、さぞかし賑わったのではないでしょうか?夢の跡です。

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鉄ちゃんの聖地?「今村清之助」の墓

2024年02月12日 | 散文

時々霊園をフラフラと散策します。上京する前まで、霊園=墓地を散策するなんて考えられませんでした。陰気で怖い場所でした。肝試しの場所でもありました。  ところが、東京では霊園で花見をすると聞いて、腰が抜けるほど驚いたものです。霊園は憩い場所でもあるんです。今では私も、散策の場所になっています。谷中霊園には沢山の墓が有ります。その中から、有名人の墓を見つけるのも楽しいです。

ふと、墓標の真ん中に有るのはSLじゃないのか⁉

間違いありません。SLです。側の墓石には「今村清之助墓」とあります。誰?

「今村清之助(1849.03.03〜1902.09.26)    長野県下伊那の農家の二男16才の頃商人を志し横浜にて行商や露天商を経て明治11年日本で初めての株取引所を設立又明治17年から陸奥宗光と共に欧米先進国の経済文化を視察し外遊漫録を発刊、鉄道事業に思いを持ち明治19年両毛鉄道の設立に奔走し社長となり鉄道事業の第一歩を踏み出す。その後九州•関西山陽をはじめ多くの鉄道事業の発足に関与我が国の鉄道王と称せられた生涯であった。明治21年設立の今村銀行は鉄道王清之助の興行的役割をした。農家の一青年に過ぎなかった清之助が時代の変遷と共に超人的努力を惜しまず近代社会の礎作りに大きく貢献しここに眠る。長男繁三は英国留学より帰国後家督を継ぐと共に英国文化に傾注し多くの社会事業の発展に貢献した。成蹊学園(現成蹊大学)の創立もそのひとつである。」

この人の事は全然知りませんでした。鉄ちゃんの聖地とまで行かないかもしれませんが、鉄道ファンなら知っている人物だと思います。

こんな谷中霊園散策でした。

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「朝日湯」の存在感

2024年02月12日 | 散文

谷中の「へび道」です。団子坂下の信号を南に入った所です。

コインランドリーが在ります。

そこは「朝日湯」の裏側です。

「銭湯に興味があるのですか?」若い女性に声を掛けられました。「ここは民泊の入り口です。1部屋だけ民泊の部屋にしています」「不躾ですがお訊きします。ここは観光地で、駅から近くて、皆さん内湯を持っている界隈なんですが、お客さんはあるんですか?」ホントに不躾です。

「はい、内湯が有っても大きい湯船が良いと言って来てくれます。ウチは10時から開けているので、地元の人だけじゃなくて、観光客がよく利用します。最近は外国人もよく来ます。湯温を高めにしているので、外国人の方は熱くて入れない方も居ます。でも楽しそうにしています」「私も熱いの苦手です。猫舌なんで・・」などと打ち解けます。

「燃料はガスですか?」「はい、もう木材は燃やせません。煙突も切ってしまいました」「煙突の隣はトイレですか?」「ええ、民泊のトイレです。よく分かりましたね」「足元に、明り取りの窓があるじゃないですか。

ひょっとしたら、あなたはここのお嬢さんですか?」「はいそうです」「家業を継ぐんですか?」「この界隈には3軒の銭湯が在ったんですけど、ウチだけになりました。ウチは100年続いているんですよ。続けたいと思っています」「じゃあ、ずっとこの景色が見られますね。銭湯好きとして期待しています」

こんな会話でした。後ろ姿の白い服の彼女が次期当主です。頑張れ!

煙突脇の路地を行きます。

湯船の窓を見上げながら表に回ります。

こちらが玄関です。

丁度お婆ちゃんが利用しています。お昼の12時過ぎです。近所の人のように見えます。

道路の反対側から見ます。

前面道路は「三崎坂」で、信号は「団子坂下」です。右は「よみせ通り商店街」で、左は「へび道」です。「根津神社」の方面です。

「三崎坂」の底辺りです。

向いはあなご寿司の銘店「すし乃池」です。

こんな立地です。

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中華屋「ニュー大龍」

2024年02月11日 | 散文

久しぶりに見ます。相変わらずというか、益々派手な店頭です。

中華屋ですが、店主は「ウチのカツカレーはお勧めだよ」と言っていました。要するに、刺身以外何でも作っています。

まだドアに「謹賀新年」です。らしいです。

今日はお昼を済ませた後なので、暫く眺めました。

小岩駅前フラワーロード商店街の一角です。

一目瞭然、ジャイアンツファンの親父です。

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中川湯/煙突も無くなった

2024年02月11日 | 散文

気になってやって来ました。煙突が半分だけ残っています。

寂しい風景です。

瓦礫の山です。

昼休み中です。作業員は全員外国人です。中東系でしょうか?人手不足を実感します。

ここからの姿もよく見ていました。

路地を数歩入って、中川湯の裏です。ここからの風景をもっと前に見ていれば良った、と思いました。物事に対して、表面だけしか見ていません。突っ込み不足が多いです。

・・・お別れです。

前回の記事です。

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