4月は人事異動の季節であります。
かく言うワタクシも、昨年の4月に39年勤めた会社の役員を退任、6月には取締役も退いて、サラリーマン人生の第1ステージが終了いたしました。
同じように、この4月に第1ステージが終了した社外の友人や元同僚から連絡をもらい、「挨拶に行きたい」「ちょっと一杯付き合ってくれ」と、何人かとお話する機会が続いています。
それにしても、ジックリ話をするうちに、彼らが決まって口にする言葉がこれ。
「何で今、俺が退任しないといけなかったのか」
「なぜ、俺が退任してアイツは残ったのか」
「どこか外に良いポストはないか。まだまだ力を発揮する自信はある」
それぞれ、もう60歳を優に過ぎた人たちであり、サラリーマンとしては運よく会社役員にまで上り詰めて、充実した職業人生だったはずの人間であります。そんな方々が、第1ステージが終わったところで、文句ばっかり口にする。正直、見っとも良いものではけしてありません。むしろ「見苦しい姿」と言った方が良い。
なぜ、こんなことになるのだろう。想像するに、以下のような理由がありそう。
◎人は地位が上がれば上がるほど「欲」が一段と大きくなる。
◎人は地位が上がれば上がるほど「自己評価」が膨らんで過大となる。
◎そしてトップに立つと「欲」「自己評価」ともに究極の大きさまでに膨らむ。
◎さらに「永遠に生き続ける」勘違いをして、いつまでも「トップの地位」にしがみつく。
上記の友人たちや元同僚たちは、そうなる前に、途中で抜け出すことが出来たということ。むしろ運が良かったと言えると思います。ワタクシは、そう彼らに語りかけて、熱くなった頭の「クールダウン」を促すようにしております。
ちなみに、1年前のワタクシだって、「退任の内示」を受けた時には「あ、遂に終わったか・・」と少し落胆した記憶があります。それでも、すぐに気を取り直して「これまでの厚情に対する感謝」を口にすることが出来ましたが、最初のリアクションとしては、まず「落胆」が来たのは事実。彼らと大きな違いはありませんでした。
誰にだって、プーチン大統領や習近平主席と同じような精神構造になる素地はあるのです。そうなる前に「離脱」あるいは「クールダウン」できたことはきっと幸いなのだと思います。