医療は科学的な根拠に基づいて構成されている。科学的と言ってもそれは蓋然性の高い仮説であって100%いつも正しいというのは人は150歳を待たずに何時かは死ぬくらいものだろう。しかしこれも最近戸籍上は160歳などという人が多数現れたから、覆るかも知れない。
まあ、しかし科学的な方法論を理解できる人なら概ね納得できる方針が立てられ、それに従って日常診療内容は選択されている。
科学的といっても曖昧なものは曖昧に留まるし、利益誘導(必ずしも利潤ではなく、自説に有利にという場合もある)が皆無とは言えない。そして科学的手法を理解しない人や個別のエピソードには、十分な説得力を持たないこともある。
ちょっと大袈裟に書き始めたが、診察室で困るのは言い張る人だ。先日も高血圧で通院しているKさん、62歳の普段はまともなおじさんなのだが、三ヶ月ぶりにやって来た。血圧が170/102と高い。
「きちんと薬を飲まなくちゃあ」。と注意すると
「きちんと飲んでますよ」と反論する。
「えっだって、この前来たのは九月じゃあないですか」。
「前のが余っていたんで、それを飲んでいました」。
「そうかな、余るようには出していませんよ。飲み忘れがあったんじゃないですか」。
「いや、きちんと毎日飲んでます。前のが余っていたんです」。と・・
虚しい水掛け論になる。強く言えば私の言うことを信用しないのかという、筋違い論法が出そうで、口を噤むことになる。穏やかな人なんだが、突然食い違いに頑なになってしまう。ちょっとした行き違いで蓋然性の高い筋が縺れて、虚しい水掛論にすり替わるのは残念だが、診察室では日常茶飯事だ。