駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

水掛け論に難渋

2011年01月12日 | 診療

 医療は科学的な根拠に基づいて構成されている。科学的と言ってもそれは蓋然性の高い仮説であって100%いつも正しいというのは人は150歳を待たずに何時かは死ぬくらいものだろう。しかしこれも最近戸籍上は160歳などという人が多数現れたから、覆るかも知れない。

 まあ、しかし科学的な方法論を理解できる人なら概ね納得できる方針が立てられ、それに従って日常診療内容は選択されている。

 科学的といっても曖昧なものは曖昧に留まるし、利益誘導(必ずしも利潤ではなく、自説に有利にという場合もある)が皆無とは言えない。そして科学的手法を理解しない人や個別のエピソードには、十分な説得力を持たないこともある。

 ちょっと大袈裟に書き始めたが、診察室で困るのは言い張る人だ。先日も高血圧で通院しているKさん、62歳の普段はまともなおじさんなのだが、三ヶ月ぶりにやって来た。血圧が170/102と高い。

 「きちんと薬を飲まなくちゃあ」。と注意すると

 「きちんと飲んでますよ」と反論する。

 「えっだって、この前来たのは九月じゃあないですか」。

 「前のが余っていたんで、それを飲んでいました」。

 「そうかな、余るようには出していませんよ。飲み忘れがあったんじゃないですか」。

 「いや、きちんと毎日飲んでます。前のが余っていたんです」。と・・

 虚しい水掛け論になる。強く言えば私の言うことを信用しないのかという、筋違い論法が出そうで、口を噤むことになる。穏やかな人なんだが、突然食い違いに頑なになってしまう。ちょっとした行き違いで蓋然性の高い筋が縺れて、虚しい水掛論にすり替わるのは残念だが、診察室では日常茶飯事だ。

 

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氷山の一角

2011年01月12日 | 世の中

 野田聖子議員に男児誕生。命が生まれたこと、望みが叶ったことにお祝いを申し上げたい。

 こうしたことはプライバシイーに関わることなので、本来は言及しないのだが、ご本人が公的立場にあり、しかもこのことに関して色々発言され報道されているので、微妙なことだが少し書いておきたい。

 ニュースはいつも話題を追い、物語の一瞬しか伝えない。しかもその一瞬も皮相に留まることが多い。

 私は男で妻子孫に恵まれているので、本当の感覚はわからないのだが、生まれてやがて消えゆく命を抱く者として、仕事柄様々に揺れ動く命に接する仕事をしている者として、酒井順子の負け犬 三砂ちづるのオニババ そして不育症 などのさまざまで微妙な陰りが、この報道の後ろに隠れていることを心の奥で感じないわけにはいかない。

 人は多数に属していると時に気付かず残酷で酷い。不妊症に携わっていた産婦人科医が渦巻くものに耐えられないと、一般診療に変わった例を知っている。

 本能と神の手に委ねられていた命も、進歩した医学によって人間が操作できるところまで来てしまった。社会がこれをどのように受け入れてゆけばよいのか、答えは医師の倫理委員会の手に余り、識者への諮問にも限界がある。持って生まれたものと生まれて身に付けたものを受け入れて生きてゆかねばならない一人一人の個に問われている重く深い問題だと思う。

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