介護は身体だけでなく心にも負担がかかり重労働である。最近は所謂老老介護が多く、88歳の爺さんを83歳の婆さんが面倒を見てるような例は多い。個体差はあるけれども腰が曲がり始めた婆さんと身体は不自由でも口うるさい爺さんのような組み合わせがよくある。
傍から見ていると気難しい人をよくこまめに面倒を見られるなあと感心するのだが、婆さんばかりに負担が掛かって可哀相に見えて微妙に違うのが夫婦の面白いところだ。実は婆さんがある程度元気なのは爺さんを面倒見ようという覚悟だか、愛情だか、義務感だかよくわからないが、使命感のようなものがつっかい棒というかエネルギー源になっているのだ。
中には、口はうるさくても身体は不自由のため遂に主導権は妻側に移り、爺さんをコントロールできる楽しさ?が出て来たように見える婆さんも居る。
例外はあるけれども、七十代までだと爺さんを送って、やれやれと羽を伸ばして何年も否数十年も元気に余生を楽しまれる方も多いのだが、さすが八十代だと面倒を見る対象が居なくなって、つっかい棒が外れたか、急に認知が始まったり、歩行が覚束なくなる婆さんが多いという印象がある。
思うに難儀なようなことでも、仕事と云うかやらなければならないことがあると人はどこからか活力が出てくるものらしい。だから婆さんは大変そうに見えても、そのことによって元気で居られるという側面もあるのだ。
勿論、だから負担を掛けてもよいと言っているわけではない。