駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

忘れられがちな懐具合

2011年01月29日 | 医療

 医学の進歩には目覚ましいものがあり、我々末端の臨床医は学会や勉強会に行くたびに目を見張り、何とか幾らかでも進歩に追いついて行こうと決意し、どうも結局追いつけないと溜息をついているのが現状である。

 それはある意味、やむを得ないのだ。というのは情報量が幾何級数的(7,8年で倍の感じ)に増えているからだ。私が卒業した四十年前は内科学はおおよそ八くらいの専門分野に別れていたが、今では更に細分化され多分四十近い専門分野に分かたれるだろう。

 人間の能力はこの四十年で全く変わらないと思われるので、どうしても一人の人間の能力では覆いきれない分野が出て来てしまう。エッセンスの知識を修めることはある程度可能だが、単なる知識ではなくて技術と装置の進歩がついて回るので実践は困難である。そこで総合病院のティーム医療が必要になるのだが、総合病院でも一部しか実現できず、大きな地域格差が生まれているのが現実だ。

 医学の進歩報道は科学的な面に光が当たり、技術と装置の費用のことが忘れられがちで、一体幾らか掛かるかということは報道されない。保険診療の適応がないのものは、はっきり言えばあんたの収入では無理だよという進歩も多い。保険診療の適応になれば、医療費が増大するわけで、国の赤字が増え続けることになる。

 昔ハウマッチという番組があったが、技術と装置を要する進歩の恩恵には、いつもハウマッチと問うことを忘れてはなるまい。それに最先端の技術を身に付けた人は深いけれども狭く、専門領域を外れれば唯の人なので過大な評価には注意が必要なのだ。足下ばかり見ていては侘びしいが、足下を見ないと転んでしまう。

コメント (4)
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