人間には悪意がある。勿論、それには様々な程度があり、ほんの僅か爪めの先程しかない人からたっぷり首まで詰まった人までいろいろだし、対象も誰に対してもということはまずなく、相手に依って変化するものだ。それはしばしば犯罪者の中にまさかあの人がと言われる人が混じっていることから、あるいは自分の胸に手を当てれば容易に分かる。ただ、自分で認めるのはやぶさかのことが多く、相手が悪いから懲らしめるなどと正当化されやすい。
石川五右衛門が浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじと嘯いたそうだが、世の中から悪が消えることはなさそうだ。
しかし悪意がもたらす悪が一番恐いかというとそうではないと思っている。悪には未だ付ける薬がありそうだが、一番恐いのは愚がもたらす愚行だ。与太郎の阿呆は受け止めることが出来るのだが、愚行は気が付いたときには毒が回っている。それはついこの間の歴史を紐解けば分かる。
それをやらかそうとしている人が居る。支持率が1%でも辞めない。萎えても辞めない。これは病気だ。萎えたボスが何処にいるか。猿やオットセイに聞いてみるといい。失笑を買うだろう。それは自称ボスにすぎず、場合によっては入院対象の妄想だ。椅子だけしか見えない視野狭窄に陥り、愚行に走るのを大いに恐れる。目を覚まし、本末転倒に気が付いて頂きたい。