二月二日のぞろ目だ。一番寒い季節なのだが、どこか微かに春の兆しを感ずる。恐らくそれは日差しからなのだろうと思う。人間も動植物の一種なので、季節を感じ取る機能を少しは持っているのだ。
尤も北国では春は遠く、雪に悩まされておられるだろう。北国から転居してこられた患者さんも多く、雪かきの大変さを聞かされている。一晩で五十センチも積もってしまい、朝起きてえっ又かと泣きたくなったそうだ。
雪月花などと言い、たまにあるいは旅先での雪は美しいが、生活に食い込む雪には辟易させられるようだ。それでも、雪はともかく零下の寒さには身が引き締まる感じというのがあるようで、極寒を懐かしむ北国の人が居られる。北緯45度は北海道よりも北だが、ヨーロッパの大部分は北緯45度以北で、メキシコ湾流の影響があると言っても零下の冬のある地域だ。
どうも寒さと思索は親和性があるようで、寒冷地から様々な思想や科学技術が生まれてきた。まあ、寒さに限らず厳しい環境の中から革新的な生きる術は生まれてくるのではないかと思う。自然災害はあっても安全で平和に恵まれていた日本も、厳しい国際情勢に晒されて、改めて安全と平和を如何に守ってゆくかを考えさせられることになった。短兵急な、殴られたら殴り返すのではない道を見つけなければなるまい。
長く生きていると四季に恵まれ、季節を味わうことの出来る日本の素晴らしさに感謝したくなる。寒い朝も、生きているありがたさを感じさせてくれる。