駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

安陪首相の言葉を聞く

2015年02月17日 | 政治経済

             

 野党党首の質問に対する安陪首相の言葉が放映された。一部分ではあるが報道陣がポイントと判断した言葉だ。

 某新聞では世論調査では格差が拡大したとは捉えられていないと答弁したとされているが、実は大切な形容詞「格差が許容範囲を超えているとは」が抜けている。世論調査の問題点は答えた人達の中身と質問の設定にあり、解釈は難しい。

 努力した人が報われる社会を目指すと答弁されたが、どういう意味かを検証してみる必要があろう。どういう人を報われたというのかは難しいが、経済的視点から例えば年収一千万以上で持ち家に住んで居る人に聞けば、恐らく十人に九人が努力したと答えられるであろう。では大多数の年収五百万円以下の人に努力して報われているかと聞けば過半数が報われていないと答えられるのではないか。

 こうした質問にはテクニックがあって、いくらかでも報われているあるいは十分に報われているといった形容詞を付けることで結果は大違いになるだろう。

 注意しなければならないのは努力して報われるの裏側に、報われていないのは努力していないあるいは努力が足りないという視点が隠されていることだろう。格差だけではなく差別に繋がる萌芽も隠れているように見える。相対的な視点をおだまり控えなさいと用いるのが得意な女性作家が居られるが、赤貧の人がどこそこに溢れている、あなたは恵まれている、努力が足りないんではないのといわれても、なんだか違うような気がする。

 これは一つの例に過ぎない。格差が固定化して拡大していないか、努力すれば報われる社会だろうかは、情報を集め自分でよく考えないと分からないと思う。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする