例えば上着は赤系統が好きか青系統が好きかどちらでもないか、丸顔が好きか細面が好きかどちらでもないか、などという質問に出くわす。何かの市場調査で商品制作や売り込みの参考にするのだろう。そうした調査には結果だけでなく、応答率など様ざまな反応をも含めた解釈がされ、販売戦略の作戦が練られているに違いない。
こうした設問選択はコンピュータで扱いやすく分析もしやすいかもしれないが、あわいや陰影を捉えられず人間的には不十分なものになると思う。尤も売り込む方としては何百何千という枝分かれには対応できず、大まかな方向をつかんで逆にその方向へ誘導するような戦略の方が実際的と考えており実利もあるのだろう。
ただ、絵画や音楽を鑑賞し本を乱読する人間にははい、いいえ、どちらでもないでは答えられない設問が多く、どちらかと言えばと選択肢を増やしたくなる。ちょっと飛躍するが、多数決に組しない人間も許容する寛大な世の中をお願いしたいと赤子に代わり爺は申し上げたくなる。