夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

釣りに行くということ

2013年08月04日 15時19分25秒 | 釣り全般
 昔の釣りは蛋白源を確保するという意味を持っていました。要は人が生きるための一つの手段でした。しかしながら現在は釣りをしなけりゃ死んでしまうという人はまず居ません。漁師さんだって釣りで捕らなくても網で取れば生きてはいけます。漁師さんが釣りをするというのはより大きな対価を狙っての事であって絶対に必要という事ではありません。
 ですから実質上、釣りをするということはほぼレクレーション的な意味合いが大きくなってきており、どうしてもしなくてはならないというものではないわけです。
 最近釣りに行かなくなっている僕ですが、決して釣りを辞めたわけではありません。家族に体調を壊した者が居てその手伝いがあるので行けないだけです。こんな状況を察知した各方面からの方々から色々なご心配をいただき、本当に申し訳なく思っております。僕はとても元気です。一人なら毎週行っていることでしょう。
 こんなことがあって思った事。それは釣りに行く行為そのものが当人を含め、家族が健康で幸せである証であるということです。
 家族に早く健康になってもらい両手放しでまた釣りに行ける日を夢見てます。

 こんな状況下でもワンコは時間になると散歩に連れて行けとせがみます。今日も暑い中連れて行きました。目的もなく炎天下を歩くのはしんどいです。
 そろそろこの散歩も辞めようかなと思ってしまう毎日ですが、時間になると『今日も連れてってくれるかい?』ってキラキラした目で見つめられると嫌が言えなくなってしまいます。暑さに滅法弱い犬なのにどうして?って思いますが、それでも行きたい事はこの目が語っています。老犬ですので(先日12歳の誕生日を迎えました)少々心配もあります。でも毎日家の中で過ごしているこの犬にとって、散歩は僕の釣りと同じような意味合いがあるのかもしれません。ですから僕の釣りと同じようにこれから先がどんなに暑かろうが寒かろうがせがんでくることでしょう。飼った以上それに応えなくてはなりません。僕も釣りに行くのですから。