長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院。(wiki「長谷寺」)
長谷寺にお参りというと、入り口(仁王門)から本堂まで長~いなが~い階段を上がらねばなりません。その段数は 399 にもおよびます!屋根付きの登り階段なので 登廊(のぼりろう)と呼んでいます。
大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。(同上)
本堂と登廊の間にある十月桜
立派な五重塔が建立されたのはつい最近のことで、1954(S29)年のことだそうです。
初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。(同上)
モクレン
ナンテン
ドウダンツツジ
イロハモミジ
〔欄外コラム〕
長谷寺のある初瀬渓谷を大和川(当時は初瀬川)が流れています。大和川(初瀬川)は桜井から奈良盆地に流れ込み、その後他の河川と合流して亀の瀬の切れ間から大阪湾に流れ出ていました。
初代大和政権(纏向遺跡)がなぜ海上交通の便の良い難波でなく奥まった奈良盆地に、それも西側ではなく東側の山麓に作られたのかについては、諸説ありますが、私は宇陀地方で水銀が採れたためという説に賛成です。
水銀といえば猛毒で物理の実験室でしかお目にかかったことがない(最高最低温度計にも使われてはいましたが)存在ですが、その昔「水銀は不老不死の薬」として求められていたのです。
水銀は自然界では硫黄と結びついた硫化水銀化合物「辰砂(しんしゃ)」鉱石として存在していました。
From Wikimedia Commons, the free media repository File:Cinnabar on Dolomite.jpg
辰砂は当時は「朱」と呼ばれ 赤く神聖な色として土器や埋葬品の着色に用いられてきました。
朱が採れる地域は「丹生(にう)」と呼ばれ、丹とは赤い土の意です。
宇陀で朱が採れ、中国から水銀を求めて買い付けに来たのです。製錬した水銀を初代大和政権が桜井の大和川沿い「海柘榴市(つばいち)」で高い値で売ったのだと思われます。
From Wikimedia Commons, the free media repository File:海柘榴市の所在地.png
8世紀に建立された東大寺の金メッキの大仏を作るために、金を大量の水銀に溶かし(アマルガムと呼ばれる)、それを土で囲った隙間に流し込み、最終的に大仏を火であぶって内側から水銀を蒸発させ、金メッキとする工法が採用されました。使用された金の量は 約9ton、金属水銀の量は 約50 ton と言われています。蒸発する水銀のために多くの作業員が水銀中毒にかかり、また周囲は銅で汚染され、都を他に移さなければならなくなったひとつの原因とも言われています。
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2021年11月23日に私が行った時のものです。お時間がある時、ご覧くだい。
↓
http://tatsu114.blog.fc2.com/blog-date-202111.html
リンク先、拝見させていただきました(^^ゞ
長谷寺の上流にダムがあったんですね、
こちらのほうがびっくりしました。
「まほろば湖」いい名前ですねぇ
つぎはここへも行ってみたいです、私
むかしダム屋をやっていましたもので!(^^)!