うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

やって見せて

2011年03月01日 | 忘れかけていたこと

やって見せて  

  言って聞かせて させてみて

      ほめてやらねば 人は動かず

などと、ずる賢こそうな歌があった。

ほめてやって、させるほうがしめしめと思っているうちに、ほめられ、おだてられなければ動かない人間が増えていく。

自分から進んで何かしようとはしなくなっていく。

ほめられそうもないことにはなるべく動かないよう、智恵以前に、習慣が脳へ命令する。

パソコンを何台か並べて共用で使う場がある。

マウスを動かそうとすると、前回の終わりにコードをくるくる巻いてあった姿のままでUSB端子に突っ込んである。

片付けるのに楽だから、使う不便は我慢する、逆転珍発想である。

こういうのも、なるべく動かないようにという習慣のついた人の仕業だろう。習慣は本人が望んでつけたことではないから、気の毒ではあるのだが。

やって見せることにも、ひとつ困ったことがある。

やって見せる喜びがそれだ。

人に何かを教えるには、はじめの歌も、はじめのほうは役に立つ。

「させてみて」がいちばん肝心なところなのだが、教えるほうがやって見せる喜びに浸ってしまうと、させてみてまで行かずに終わってしまう。

「まねぶ」ところ、体験する番まで回って来ずに、中途半端な学習になる。

させてみるよりやったほうが早いと感じるのは、なんでも時間短縮はよいという集団現世病で仕方のないことだが、そこでじっと我慢がいるのだ。

教えるということは、それを楽しんでばかりはいられない、辛いこともあるのだ。