うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

刺身情報

2011年03月27日 | 忘れかけていたこと

パソコン情報には、拙速という欠点がつきまとう。
発信するときの読み直しがおろそかになること、チェック機能が介入しにくいこと、質問がすぐに異論と受け取られやすいことがあげられる。

原稿を紙に書いた場合なら、修正したところを見ながらの読み直しが繰り返しできる。
しかしパソコンの画面上では、読み直しはできても、どこをどう直したのかは記憶が消えればわからなくなる。
直したという感覚が消えれば、さあこれでよいという感覚が先走る。
紙の原稿に赤い字が入ったものより、見やすいはずのパソコン画面のほうが、読み直しがおろそかになるのは事実だが、説明できる理由は見つからない。
ただ実感だけである。

紙の原稿は、執筆者以外の人がチェックしやすい。人の書いた原稿を読み始める前に、まず赤鉛筆を持つ人もいる。
パソコンの画面では、こう書いたけれども見てほしいと、他の人に見せることはなかなかしない。
ドロップフォルダーなどの便利なソフトを、原稿チェックにうまく使えばよいが、それでもここをこう直したらという吹き出しコメントのような付随機能がないと、紙と赤鉛筆のようにはいかない。

質問の仕方も同じで、つい急いでパタパタと入力し、チョンとエンターキーを押してしまうから、文体がきつくなり、苦情や異論と読み取られやすい。

共通して言えることは、パソコンは原稿が出来上がってから、送られて相手が受け取るまでの時間がごく短いので、それにつられてか、発信するのに、早く出さなければという強迫観念のようなものにとらわれるのではないかと思う。
送受信に時間短縮できる分、発信までに温めて置く時間を作ればよいのだが、それをなかなかしない。刺身と違うのだから、おろしてすぐにさあさあと食べさせなくてもよいのだが。


文書の問題だけでなく、指示系統の動きにも、拙速の乱れが電子情報時代の欠点として表れる。
一昨日だったか、Yahooの知恵袋にこんな記事が続いて出ていた。

「東京の水の放射性ヨウ素の乳幼児基準 オーバーについては、見つかった上水場の水が基準内となったとのことです。それにより、利用規制を解除した・・・」

「川口市の水が急に乳児も飲んで良いとなっちゃいました。」

それ危ない、もう大丈夫、半日も経たないうちに水道の水の質が変わるわけがないのに、あたふたと情報だけが転げ回る。

ヒト・モノ・カネの次は情報などと、あまり気分の良くないたとえを、テレビ・トークで得意げに持ち出す人もいるが、四つめの情報は、何かと拙速に走る材料になりそうで、きわもの商売には向いていても、広域の社会を動かす公務にはどうも危なそうである。