うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

紙様

2011年03月09日 | 忘れかけていたこと

2世紀のはじめに蔡侯紙(さいこうし)ができてから、人間はずっと紙と付き合い、紙のお世話になってきた。
ペーパーレスなどと簡単に言われても、人間は紙をまったく使わずに情報のやり取りをすることはできない。

パソコンが普及して、情報はディスプレイ上で確かめ、ディスクや半導体メモリーに保存できるようになった。
それでも、紙に慣れ親しんだ人々は、いったん紙に印刷されないと何か不安にかられるらしい。
写真なども、持ち運びの都合上なら、さすがにケータイより紙1枚のほうが薄いから、紙に印刷したくなるのはわかる。

去年のことだが、面白い講座があった。
ある人は、ネットで顔を見ながら会話ができるようになったと話してくれた。
次の人は、印刷した写真を郵便で送らなくても、ネットで受けた側ですぐに印刷でるシステムができたと話してくれた。
顔を見ながらの会話のとき以外の写真もすぐ送れます。ただそれには別の装置が必要です。こういうことになる。
それぞれの部署が少しずつ違った方式を開発する。それぞれに売りさばこうとする。
使う側ではひとつの機械で両方できれば便利なのだが、それでは売る物の数が増えない。

データの電子化もだいぶ進んではいるが、紙に書いた形のまま電子データに置き換えて、はいできましたとなっているものがほとんどだろう。

電子データは、検索、計算、並べ替えが簡単にできるところに価値があるので、保管場所を小さくすれば満願というものではない。

紙に書いて扱ってきた様式は、データの扱いには邪魔なところが多い。
邪魔な部分も後生大事に、形を崩さずPDFなどという厄介なデータ方式に取りすがっていることが多いのだ。

人間の智恵は、紙様、とくに日銀発行のあの紙様の呪縛から抜け出せずもがいているように見える。