剪定の「剪」と、煎茶の「煎」には大きな違いがある。
脚(あし)と呼ばれる下部が、刀であるか火であるかの違いではなく、本体の「前」が違う字になっているのだ。
「剪」では月の中が点々、「煎」の月の中は二本棒だった。
二本棒という言葉は、漱石のころ、小説にも登場したが、世知辛い現代では、そういう間抜けな甘い男は、いても話題にされないのか、死語に近くなったのではないかと思う。
ともかく月の形が違うのである。
念のため漢和辞典を広げてみると、「せんてい」の「せん」も、「せんちゃ」の「せん」も月の中は点々になっている。
「前」という字は、MS-IMEも漢和辞典も月の中は二本棒である。
ただし、漢和辞典には、旧字として、月の中が点々の字も載っている。
前という字は、「止」の下に「舟」の加わった字と刀とが合わさってできた文字であるという。
前進は、まえに出ている足にうしろの足をそろえて行き、半歩ずつ静かに進むのが礼儀正しい方法なのだそうである。
婚礼のときの入場歩行がその進み方だ。ドタドタと足を投げつけるように歩くのは最も下司な歩き方らしい。
前の字に組み込まれているのは月かと思っていたが、月ではなく舟だった。
舟ならば二本棒より点々だろう。
なぜこんなことになってしまったのか。常用漢字表から文字コードを組み立てる過程で食い違いができたのだろう。
日常生活には関係なくても、検定試験などという細かいところにうるさく言う場では、当事者にはいい迷惑である。
これには「問題にしない」という対策しかない。
機会は少ないと思うが、「剪れば点、煎るには箸」と唱えながら書く、ということになろうか。