ものごとの水準には、まったいらにすることと、差を認めること、この二つ意義があります。
建物の床はまったいらでないと中での生活が落ち着きません。
外壁や窓枠を、わざわざ斜めにした建物もときどき見かけますが、それでも中の床面はまったいらでしょう。
土台のほうは高さに差があっても、そこに合うように建てれば、設計施工技術でかたがつきます。
表口から入ったロビーが、裏口から入ると二階になっているという建物は、山里のホテルなどにいくらでもあります。
教習することがらも、義務教育や検定講習などでは、できあがりがある水準以上にならなければ成果にはなりません。
しかし、成人相手の講習会のような場では、みなが同じことができるようなることを望んでも、得られるものは落胆でしかないでしょう。
パソコンの取り扱いなども、用途の幅も水準も、深浅広狭お構いなしに作られていますから、使う人がこれだけできればと思うところまでいき、その上ごくわずかに、こんなことまでできるのかとさとってもらえれば、一般の個人用には十分ではないかと思います。
あまりにも高度のところまでわからせようというのは、はじめから無理なのかもしれません。
反対にある水準以上でなければ相手にしないというやりかたは、思い上がりとも言えるでしょう。
見ているだけのおまかせが、自分でできるようになる、そんなちょっとだけのことで、ひとは嬉しいものなのです。