アマゾンに予約していたNHKのDVD「大学ラグビー激闘史」1982年度-1986年度が届きました。
何よりも私が楽しみにしていたのは、1984年度の大学選手権決勝、同志社vs慶応義塾の試合。今も語り継がれる名勝負です。
実は私は国立競技場でこの試合を観戦しているのですが、ビデオに録っていなかったので、是非もう一度じっくり見たいとずっと思っていたのです。
大学選手権三連覇を目指したこの年の同志社は、タレント揃いの最強メンバー。
準決勝で早稲田に完勝しての決勝進出でした。
戦前の下馬評では、大学チームに同志社の敵はなく、社会人7連覇を果たした新日鉄釜石に同志社がどこまでやるかが見所だというようなメディアの論調だったと思います。
いざ試合が開始されると、直後に平尾のトライで同志社が簡単に先制。
やっぱり同志社が断然強いなと誰もが思ったのですが、徐々に慶応お得意のアップ&アンダーが威力を発揮し始めて、後半はタイガー戦車FWが同志社FWを圧倒。
10対6(1トライが4点の時代)で辛うじてリードする王者・同志社を、終盤は自陣ゴールラインにくぎ付けにするという、全く予想外の展開となりました。
平尾選手の回顧談によれば、「あんなにFWが崩されたのは初めて。既に残り時間がなく、認定トライを取られると6点を失い逆転負けしてしまうので、自軍FW陣に対して『タッチライン近くならばトライを取られても4点で同点どまり。だから、あまりゴールライン際で頑張らないで慶応にトライを取らせろよ』と声をかけていた」と、いかにも平尾らしいコメント。
そして、慶応の波状攻撃がずっと続いて、試合終了直前に、慶応の松永からボールを受けた村井がゴールポスト左に飛び込み、同点トライかと場内が総立ちとなった瞬間にスローフォワードの判定が出て、その後間もなくノーサイド。
慶応は大金星を逃しました。
勝敗を分けたのは何かと問われて、平尾は「運が良かった。こんなにFWがやられても勝てる時があるんだなと知った」と答えました。
かたや松永は「運がなかった。『勝てたらラッキー』というチームと、『勝たねばならない』というチームの気持ちの差が最後に出た」と答える。
土俵際まで王者・同志社を追い詰めた慶応の健闘は、本当に立派でした。
慶応の松永主将の回顧談では、「今でもミス・ジャッジだと思っている。慶応の卒業式で、大学日本一にならなければ与えられない小泉スポーツ賞を授与されたことに象徴されるように、慶応ファミリーの中では、あの年に優勝したのは慶応だと思っている。でも、そのジャッジのおかげで、今でも話題にしていだだける。だから現在は感謝している」と。
伸びやかなプレーを展開する才能集団の同志社と、魂のラグビーと称されて泥臭く相手の長所を封じ込める叩き上げ集団の慶応。
この時期の両校は、魅力溢れる素晴らしいラグビーをしていました。
[同志社]
1木村
2森川
3馬場
4圓井
5大八木
6武藤
7浦野
8土田
9児玉
10松尾
11清水
12平尾
13福井
14赤山
15綾城
[慶応義塾]
1橋本
2五所
3中野
4柴田
5中山
6田代
7玉塚
8良塚
9生田
10浅田
11市瀬
12松永
13林
14若林
15村井
何よりも私が楽しみにしていたのは、1984年度の大学選手権決勝、同志社vs慶応義塾の試合。今も語り継がれる名勝負です。
実は私は国立競技場でこの試合を観戦しているのですが、ビデオに録っていなかったので、是非もう一度じっくり見たいとずっと思っていたのです。
大学選手権三連覇を目指したこの年の同志社は、タレント揃いの最強メンバー。
準決勝で早稲田に完勝しての決勝進出でした。
戦前の下馬評では、大学チームに同志社の敵はなく、社会人7連覇を果たした新日鉄釜石に同志社がどこまでやるかが見所だというようなメディアの論調だったと思います。
いざ試合が開始されると、直後に平尾のトライで同志社が簡単に先制。
やっぱり同志社が断然強いなと誰もが思ったのですが、徐々に慶応お得意のアップ&アンダーが威力を発揮し始めて、後半はタイガー戦車FWが同志社FWを圧倒。
10対6(1トライが4点の時代)で辛うじてリードする王者・同志社を、終盤は自陣ゴールラインにくぎ付けにするという、全く予想外の展開となりました。
平尾選手の回顧談によれば、「あんなにFWが崩されたのは初めて。既に残り時間がなく、認定トライを取られると6点を失い逆転負けしてしまうので、自軍FW陣に対して『タッチライン近くならばトライを取られても4点で同点どまり。だから、あまりゴールライン際で頑張らないで慶応にトライを取らせろよ』と声をかけていた」と、いかにも平尾らしいコメント。
そして、慶応の波状攻撃がずっと続いて、試合終了直前に、慶応の松永からボールを受けた村井がゴールポスト左に飛び込み、同点トライかと場内が総立ちとなった瞬間にスローフォワードの判定が出て、その後間もなくノーサイド。
慶応は大金星を逃しました。
勝敗を分けたのは何かと問われて、平尾は「運が良かった。こんなにFWがやられても勝てる時があるんだなと知った」と答えました。
かたや松永は「運がなかった。『勝てたらラッキー』というチームと、『勝たねばならない』というチームの気持ちの差が最後に出た」と答える。
土俵際まで王者・同志社を追い詰めた慶応の健闘は、本当に立派でした。
慶応の松永主将の回顧談では、「今でもミス・ジャッジだと思っている。慶応の卒業式で、大学日本一にならなければ与えられない小泉スポーツ賞を授与されたことに象徴されるように、慶応ファミリーの中では、あの年に優勝したのは慶応だと思っている。でも、そのジャッジのおかげで、今でも話題にしていだだける。だから現在は感謝している」と。
伸びやかなプレーを展開する才能集団の同志社と、魂のラグビーと称されて泥臭く相手の長所を封じ込める叩き上げ集団の慶応。
この時期の両校は、魅力溢れる素晴らしいラグビーをしていました。
[同志社]
1木村
2森川
3馬場
4圓井
5大八木
6武藤
7浦野
8土田
9児玉
10松尾
11清水
12平尾
13福井
14赤山
15綾城
[慶応義塾]
1橋本
2五所
3中野
4柴田
5中山
6田代
7玉塚
8良塚
9生田
10浅田
11市瀬
12松永
13林
14若林
15村井