東都では、立正大が初優勝しました。
明治神宮大会で戦うことができるよう、早稲田も頑張りましょう。
さて、昨日の稲穂祭・第二部で、早稲田の第二校歌「人生劇場」が応援部リーダー部員たちによって歌われました。(写真)
レトロな編曲の伴奏に合わせて唄う彼らの姿は、彼らの美学と心意気がひしひしと伝わってくる、素晴らしく格好良いものでした。
私たちの学生時代を過ごした昭和50年代前半でも、金城庵あたりの座敷に集まってシコタマ飲んだ後、校歌、紺碧の空に続いて、肩を組んで人生劇場を唄って当日はお開きというのが、当時の飲み会の標準形でした。
ですから、人生劇場から漂う雰囲気は、今も私に「早稲田」を強く感じさせてくれるもので、第二校歌と呼ばれるのも納得です。
ところで、昭和30年代に大学生活を送られた方が、当時の学生の間で歌われていたという校歌の替え歌を、ある異業種交流会の資料の中で紹介されていました。
私自身は知らない替え歌でしたが、思わずニヤリとさせられる内容だったので、皆様にもご紹介します。
都の西北 早稲田の杜に
そびゆるトタン屋根 我等が下宿
我等が日頃の オカズを知るや
二円のタクアン 五円の煮豆
日増しに痩せゆく 我等のからだ
輝く我らの 下宿をみよや
痩せた 痩せた 痩せた 痩せた
痩せた 痩せた 痩せた
明治神宮大会で戦うことができるよう、早稲田も頑張りましょう。
さて、昨日の稲穂祭・第二部で、早稲田の第二校歌「人生劇場」が応援部リーダー部員たちによって歌われました。(写真)
レトロな編曲の伴奏に合わせて唄う彼らの姿は、彼らの美学と心意気がひしひしと伝わってくる、素晴らしく格好良いものでした。
私たちの学生時代を過ごした昭和50年代前半でも、金城庵あたりの座敷に集まってシコタマ飲んだ後、校歌、紺碧の空に続いて、肩を組んで人生劇場を唄って当日はお開きというのが、当時の飲み会の標準形でした。
ですから、人生劇場から漂う雰囲気は、今も私に「早稲田」を強く感じさせてくれるもので、第二校歌と呼ばれるのも納得です。
ところで、昭和30年代に大学生活を送られた方が、当時の学生の間で歌われていたという校歌の替え歌を、ある異業種交流会の資料の中で紹介されていました。
私自身は知らない替え歌でしたが、思わずニヤリとさせられる内容だったので、皆様にもご紹介します。
都の西北 早稲田の杜に
そびゆるトタン屋根 我等が下宿
我等が日頃の オカズを知るや
二円のタクアン 五円の煮豆
日増しに痩せゆく 我等のからだ
輝く我らの 下宿をみよや
痩せた 痩せた 痩せた 痩せた
痩せた 痩せた 痩せた