外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

美女と液体人間

2009-10-22 17:37:23 | 映画、テレビ、漫画
社会保険庁から「ねんきん定期便」が郵送されてきました。

これまでの年金加入期間と保険料納付額、老齢年金の見込み額が記載され、過去の月ごとの標準報酬と納付保険料の明細書も添付されていました。

昭和54年4月分の初任給から4,732円を納付して以来30年間、これまで納付した保険料の累計額は13百万円あまりとなっています。

私の場合、報酬比例部分の年金が満62歳から支給されますから、あと8年で年金生活者となる選択肢もあり得ることになります。

気持ちは学生時代と殆んど変わっていないのに、時の経過は容赦ありませんね。

さて、今日はDVDで「美女と液体人間」を観ました。
1958年の東宝作品。

原水爆実験に遭遇した漁船の乗組員が、放射能によって液体人間と化し、都内に侵入して事件を引き起こすというストーリーです。

都心の下水道に潜伏する液体人間が、最後はガソリンで焼き払われてしまう結末。
良く考えてみれば、液体人間たちは、元々は被爆した漁船の乗組員らが祖国に帰って来ているわけですから、化け物扱いをされて焼き払われてしまうというのは、残酷で悲しい話ではあります。

佐原健二、平田昭彦、白川由美、中丸忠雄といった「空の大怪獣ラドン」と共通する出演者が中心となって、昭和30年代前半の東京を舞台に撮影されています。
個人的には、オート三輪が走る未舗装の路地裏など、「三丁目の夕日」と同じ光景が実写で楽しめる点と、新人時代の白川由美さんの美しさが特筆ものだと思います。

この頃の東宝は、「透明人間」「電送人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」など、変身人間をテーマとする特撮作品をいくつも制作しています。
怪獣ものとは一味違って、大人も楽しめるサスペンス調なので、今でも時々鑑賞したくなる作品群です。
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三澤投手の思い出

2009-10-21 17:09:23 | 大学野球
巨人を皮きりに、現在も、アメリカ独立リーグでプレーを続けるのが三澤興一投手です。

織田投手が孤軍奮闘する苦しい投手事情にあった早稲田に、センバツ優勝という実績をひっさげて、帝京高校から1993年に鳴り物入りで入学した三澤くんは、在学中に31勝16敗を記録。

特に、織田投手卒業後の二年間における三澤くんのシーズンごとの投球回数は、88回、72回、86回、68回。
文字通り、主戦投手として大車輪の活躍でチームを支えてくれました。

写真は大学一年生春の、少しポッチャリしていた頃の三澤くんです。

ちなみに、三澤くん入学当時の早稲田は、石井連蔵監督のもと、こんな選手たちがいました。
なかなか優れた選手たちが集まっていましたよ。

[投手]織田(3年、日向)、滝口(4年、安積)
[捕手]荒井(2年、安孫子)
[一塁]中村壽(1年、西日本短大附属)
[二塁]峯岡(1年、天理)
[三塁]半田(3年、秋田経法大附属)
[遊撃]仁志(4年、主将、常総学院)
[外野]浪岡(4年、桐光学園)、篠原(1年、広陵)、大森(2年、天理)


私は、斎藤佑樹投手が早稲田に入学してきた頃、彼が三澤くんのようなタイプのエース投手になる予感というか、期待を抱きました。

同じ甲子園優勝投手ということもありますが、抜群の制球力で粘り強く相手の打者を攻略していく三澤くんの投球スタイルが、低めに変化球を集める斎藤くんの投球とダブって見えたからです。
専門家の方からは「全然違うよ」と言われてしまうかもしれませんが。

このところ斎藤くんが、投球フォームが固まらずに苦しんでいるという報道を目にしました。
彼が目標としているのは、どんな投球なのかなあと考えていたら、早稲田が生んだ30勝投手の一人・三澤くんのことを、ふと思い出しました。

三澤くんがプロ入りした時、あの江川卓さんが「三澤投手のコントロールは、プロの投手たちと比べてもトップクラス」と高く評価されました。

ファンの皆様、お一人お一人に斎藤くんに対する理想像があると思うのですが、私は、三澤投手のような、緻密でタフな投手になってもらいたいと期待しています。

ところで、今日10月21日は早稲田大学の前身、東京専門学校の創立記念日です。
大学で、何か記念行事があったのでしょうか。
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桑田真澄氏への疑念

2009-10-20 18:09:18 | 大学野球
先日のスポーツ紙に、早大大学院で勉強中の桑田真澄さんが、東伏見の準硬式野球部の練習に参加して、部員にアドバイスしたという記事があり、自ら打撃投手を務めている写真も掲載されていました。

私は、非常に強い違和感を持って、この記事を読みました。

スポーツ科学部の校舎の一部が東伏見にありますから、桑田さんが東伏見に現れることがあっても全く不思議ではありません。
準硬式野球部の了解があれば、練習に加わることも問題ないでしょう。

しかし、彼が準硬式の練習に顔を出す場面に、なぜカメラを持ったスポーツ紙の記者が居合わせるのでしょうか。
偶然ということはあり得ません。

大学当局や準硬式野球部が新聞社に連絡するはずもないので、桑田さん自身が「明日は早稲田で少し教えるんですよ」などと、知り合いの記者に事前連絡していたとしか考えられません。

なぜメディアを呼ぶ必要があるのでしょう。

うがった見方をすれば、自らの健在ぶりを球界関係者にアピールするために、早稲田を利用していることになりはしないでしょうか。

百歩譲って、そのような積極的な意志が彼に無かったとしても、大学スポーツの環境の中でのメディアとの接し方・距離感について、あまりに無神経過ぎるというか、勘違いしているように思えます。

桑田さんは誰もが認める甲子園とプロ野球の大スター選手でしたが、大学キャンパスの中では、一学生に過ぎないのですから。


これまで私は、彼の大学院進学を好意的に受けとめていましたが、この記事を目にしてから、彼の姿勢、彼の常識に疑念を抱くようになりました。


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法政に連敗

2009-10-19 19:15:25 | 大学野球
法政・加賀美投手の前に早稲田打線が沈黙し、0対2で完封負けを喫しました。

早稲田の先発・斎藤くんは決して本調子ではなかったと思います。
立ち上がりから法政打線にきっちりミートされてしまい、四、五点取られてもおかしくないようなピンチの連続でしたが、何とか二失点で踏ん張り、味方打線の援護を待ちました。

しかし、早稲田打線は今日も絶不調でした。
唯一のチャンスは二回表の一死満塁。
これを不振の八番・後藤選手の併殺打で潰してしまってからは、昨日からベンチ入りした加賀美投手の前に、完全に封じ込められてしまい、二点のビハインドを取り返すことが最後までできませんでした。

この3連戦の早稲田の戦いぶりを振り返って、気がついた点があります。

まず、選手の入れ替え。
これまでの早稲田は、試合で結果を出せなかった選手、大きなミスをした選手をスタメンから、あるいはベンチからも、厳しく外していました。

でも、この早法三連戦では、不調の選手を我慢強く使い続けました。
しかし、結果的には、短期決戦の中でチームが勢いを失い、完全に受け身の戦いぶりとなってしまったように思えました。

そして、代打陣がいかにも実戦経験不足でした。


また、秋季リーグ戦では四年生の頑張りが不可欠だと改めて思います。

早稲田の小島くんが、左中間の大飛球を好捕し、必死に内野安打を連発。
法政も、故障上がりの亀谷くんが執念の同点打を放つ。
立教の戸村、慶応の中林両投手の頑張りもありました。

四年生の主力選手が少ない分、早稲田の戦いぶりに粘りが足らないように見えてしまいました。


ともあれ、早稲田は法政に完全に並ばれました。
早稲田としては、一戦必勝。
もう一度仕切り直して、早慶戦で連勝するのみです。

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早法二回戦は惜敗

2009-10-18 21:24:57 | 大学野球
早法二回戦は、0対1で惜敗しました。

今日の先発・福井くんは、制球、球のキレ、共に申し分のない投球内容だったと思います。
しかし、味方打線の援護なく、僅か1失点が今日の致命傷となってしまいました。

打線に関しては、宇高くんを上位にもってくる打順組み替えが一応結果に結びついたのですが、法政・二神くんの巧みな投球の前に今日もクリーンアップが沈黙。
最後まで打ち砕くことができませんでした。

早稲田にも、決定的な得点チャンスがありました。

しかし、一死一三塁のスクイズで三塁走者が本塁突入を躊躇した結果、ダブルプレイ、
あるいは無死一塁でのスリーバント失敗、

一点を争う今日の試合展開で、いずれも痛い失敗でした。


リーグ戦で優勝するためには、同一カードで絶対に二連敗してはいけません。

明日が勝負です。

野手の選手層が薄く、勝負どころで相手に先んじて代打を出すなどの策がとれない苦しい状況ですが、何が何でも明日は勝ちましょう。
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早法一回戦は引分け

2009-10-17 15:36:49 | 大学野球
早法一回戦は延長12回、3対3の引分けでした。

斎藤投手の二安打を足掛かりに3点リードするも、早稲田クリーンアップが不発で追加点を奪えず。
これが結果的に、法政に追いつかれてしまう原因となりました。

先発の斎藤くんは、最速145キロを記録するも、変化球主体の組み立てで勝ちに拘るピッチング。
しかし七回裏に、二塁の後藤くんの拙守をきっかけに法政打線につかまり、試合の流れが大きく法政に傾いてしまってから大石くんにマウンドを譲りました。


法政の各打者の方がバットが振れていましたし、選手層の厚さも法政が一枚上手。
一旦追いつかれてしまうと、早稲田は同点引分けに持ち込むのが精一杯という感じでした。

早稲田は負けなかったものの、大石くんがロング・リリーフとなってしまいましたので、二回戦以降の投手起用に影響が出そうです。

かたや法政は、足の故障から復帰した亀谷くんが執念の同点打を放つも、一塁までの走塁で再び足を傷めて、戦列を離脱してしまいました。
大学での最後のシーズンだけに、亀谷くんも悔しくて堪らないでしょう。


明日の二回戦。
今日よりも点数の動く試合展開になると思われますので、早稲田打線の中軸が奮起して、法政に打ち負けないことが重要だと思いました。


なお、熊谷で行われたラグビーの筑波大学との試合は、50対5で早稲田が快勝したようです
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早慶戦と日本シリーズ

2009-10-16 19:40:01 | 大学野球
ヤクルトがクライマックス・シリーズ(CS)を勝ち上がり、日本シリーズに出場する場合、早慶戦と同日のナイターになると友人からメールをいただきました。

ヤクルトは六大学出身の選手、指導陣、スカウトが多いチームなので私も応援しているのですが、こと早慶戦に関わると話は変わってきます。

試合開始時刻の調整などの余地もあるのかも知れません。
でも、ヤクルトには申し訳ありませんが、、CSで悔いの残らない試合をしてもらうも、最終的には早慶戦との日程のコンフリクトが生じない結果となることを秘かに期待します。
(^^)v


さて、この記事は成田エクスプレスの車中で書いています。
写真は、空港の売店で買った深川飯のお弁当。
これを楽しみに、機内食を食べませんでした。
\(^O^)/


帰国のために、メンフィスからアトランタ行きの国内便に搭乗した時、五人の陸軍兵士(うち二名が女性)が私の後方に座りました。

離陸前の機内アナウンスで、お決まりの安全設備の説明が終わった後、乗務員から「今日のフライトには、任務を終えてアフガニスタンから帰国されたソルジャーが五名、搭乗されています」とアナウンスが。
すると、機内の乗客が一斉に拍手し、兵士たちの無事の帰還を喜び、これまでの彼らの苦労を讃えました。

国際線では出会ったことのない光景ですが、国内線では日常的に行われているようです。

アフガニスタンの問題は、アメリカ国内でも賛否両論です。
しかし、命令のもと、アフガニスタンに派遣され、過酷な状況下で任務を果たした兵士たちに対するリスペクトは、米国では当然のことと考えられていると実感しました。

なお、その国内便のアトランタ到着が遅れたため、メンフィスで預けた手荷物の成田便への載せ替えが間に合わず、成田空港の手荷物受取所に届きませんでした。
アトランタに届いていることは確認できており、航空会社が数日後に宅配便で自宅に配送してくれることになりました。

乗継ぎする場合に、その手のリスクが高いことは聞いていました。
目先に必要なものは全てナップサックに入れていましたから、特に支障はないのですが。

それにしても、旅行では色々なことに遭遇します。

さあ、明日は早法戦です。
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国立公民権博物館

2009-10-15 16:40:10 | 大学野球
楽しい思い出ばかりを作ることができたメンフィスですが、最後に国立公民権博物館を訪問した時の体験をお伝えしたいと思います。

黒人の公民権運動に歴史的な足跡を残したマーチン・ルーサー・キングJr.牧師が、1968年(昭和43年)4月4日に暗殺されたのが、写真のメンフィス市内のモーテルの二階。
そのモーテルが国立博物館に改装されて公開されています。

1968年は私が中学校に入学した年。
キング牧師暗殺のニュースがテレビで繰り返し放送されていたことを、はっきり記憶しています。

このような社会不安や不満が海を越えて、当時の日本の学生運動にも影響を与えていたと思います。

さて公民権博物館は、アフリカの黒人たちが奴隷として売買されて、米国に強制的にやってきた時代のイラストから展示が始まり、
農園から逃げようとした黒人青年や少年が絞首刑された写真、
公民権を求めてデモする黒人たちに放水し警察犬をけしかける白人警官、
人種をミックスすることは共産主義につながるから絶対に反対という白人女性の大学教授
学校の入学式で白人学生によって追い出され、悲しそうな表情でキャンパスを去る黒人の女子学生

正視に堪えない画像の連続なのですが、私が一番ショックを受けたのは、
テーブルに座る黒人夫婦の二人を白人男性たちが取り囲み、タバコの煙を顔面に吹き掛けたり、黒人男性の眼鏡を外して灰皿代わりにタバコを揉み消したり、ついには黒人男性の頭部でタバコを揉み消すというフィルム映像。

私の周りに立って同じ映像に見入っている入場者の表情をチラッと見ると、涙を流す人、深いため息をついて天井を眺める人、「今は本当に自由なのか」という呟く若者など、誰もが強いショックを受けている様子。
私はというと、吐き気に襲われて、トイレで嘔吐してしまいました。


アメリカの黒人たちに参政権が与えられたのは1965年(昭和40年)。
その前年に行われた東京五輪で世界新記録を連発した米国の黒人選手たちには、実は選挙の投票権がなかったことになります。

博物館の展示の最後には、白人中心に運営されている団体から奨学金を受けて大学を卒業した黒人女性のインタビュー映像なども紹介されているのが、ちょっぴり救いでした。

今回、レンタカーで町中を走り回りました。
カーナビが装着されていなかったので、地図に記載されていない路地に迷い込んでしまうこともありました。
その結果、貧困に苦しむ黒人の人たちが今も少なくないことを目撃してしまいました。

雨の降る中を、傘もささずにハイウェイの脇を歩く人、
貨物鉄道の線路を歩いて仕事に向かう人、
いつ来るか判らないバスを雨に濡れながら待つ人

広大な公園、あるいはミシシッピ川の土手で草刈りや落葉掃除をする人

みんな黒人でした。

そして、貧困は犯罪を生み出します。

道を尋ねようとして入った、黒人街の酒屋さん。
店内の顧客スペースと商品棚は、分厚い防弾ガラスにより床から天井まで完全に分離され、まるで刑務所の面会室のような感じで会話しなければなりません。
支払いや商品のやりとりも、ピストルを店員に向けることのできないような角度にコンクリートに窪みを堀り込んだ小さな穴から行います。

親切に道順を教えてくれた中年の黒人夫婦は、「最近は悪い連中が増えたから、こんな店構えになっちゃった」と苦笑いしていました。


オバマ大統領が誕生した際に、涙を流す黒人たちの映像がテレビで流されました。
人種差別問題が今も完全に解決されているわけではないことを、改めて理解できました。
そして、差別の問題は、現代の日本社会も無縁ではありません。

決して簡単には結論の出ない差別の問題を最後に、私のアメリカ南部旅行はおしまいです。

おつきあい頂いた皆様、ありがとうございました。

帰りは、アトランタ経由で成田に向かいます。

そして土曜日の早法一回戦は、神宮球場で応援いたしますよ!!
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ギブソン・ギター

2009-10-15 15:07:11 | 音楽
メンフィスには、ギターの老舗ギブソンの工場があります。

工場ではギターの製作過程を見学するツアーが常時行われており、敷地内には工場に隣接して音楽博物館もあります。

音楽の街メンフィスだからこそギブソンが生まれ、ギブソンがあったからこそ、音楽が育った。
そんな気がします。
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スタックス博物館

2009-10-15 14:59:01 | 音楽
1970年代のソウル・ミュージックの歴史を、映像とサウンドで紹介してくれる博物館です。

ここは、元々は名門スタックス・レーベルのレコーディング・スタジオでしたが、一度取り壊しされてしまい、2003年に博物館とアカデミーとして再建されたものです。

あまり期待しないで訪問したのですが、これが実に楽しい施設でした。

言ってみれば、建物全体が、かつてのテレビ番組「Soul Train」の雰囲気に溢れている感じ。
サム&デイブ、ブッカーT&MGs、アレサ・フランクリン、ティナ&ターナー、マービン・ゲイなど、一世を風靡したアーティストたちのステージを記録した映像が、各コーナーでふんだんに流されています。

なお、この博物館の所在地は、けっこう寂しい場所にありまして、すぐ近くには廃屋となった古工場があったり、使われいるの疑わしいような赤錆びた線路があったり。
こういう環境をも考慮して、黒人社会の実態を見てもらおうという意図があるのかも知れません。
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