「もっと旅すればよかった…」
何度、いつから、いったいいつまで、
こう思うつもりなんだろう。
娘と一緒の、その時にしかなかった時間はもう戻ってこないのに。
中学生になったら、それまでの分もたくさん旅しよう。
行きたい所に行こう。国内も海外も。
それが、このコロナ禍で次々とキャンセルせざるを得なくなり、旅行だけでなく近場の外出もままならない終わりの見えない日々が続く。
重たい蓋をさぁ開けよう!…としていたのに、また塞がれてしまった感じだ。
どうしてもっとあちこち行かなかったんだろう。四季折々のその土地ならではの景色を、遊びを体験したかった…一緒に。部活や試験のないあの頃、今よりずっと自由だったのに…。
そんなモヤモヤの気持ちを母や友人にこぼしたことがある。
すると、驚いたことにふたりの言葉は全くと言っていいほど同じだった。
「その時はそのときできっと一所懸命だったんだよ」
三人の子供を育て上げた母は、娘が幼い頃からことある事に言っていた。
「とにかく行ける時に行っておきなさい…近くでも遠くでも」と。
私の友人が海外で生活すると聞くと、
「遊びに行ってきたら?」
とせっついたっけ。母ももしかしたら“〇〇すれぱよかった”と思っていたのかもしれない。
一方の友人は『モノより思い出』を体現してるような女性(ひと)だ。
コロナ前、彼女曰く“清水の舞台から飛び降りる”勢いで家族で海外に行き、子供を短期留学に送り出し…etc.
彼女だけではない、友人達のアクティブな行動を聞くにつけ、私はまた後戻りする…。
できないことではなく、できることを。
できなかったことではなく、できたことを。
何度そう思うようにしても、すぐに思ってしまう…あの時、ああしておけばよかった…と。
負の思考のスパイラルだ。誰かと話したい…無性に。
☆富士五湖の…?☆
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