BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
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じいちゃんの文章

2004-09-24 14:07:00 | のほほん日記
離れのじいちゃんの絵が飾ってある部屋でここ最近書かれたと思う文章があったので写してきました。
ここに載せたいと思います。
(達筆な文章だったので一部読めないところがありその部分は**でおいてます。)

『タイトル未定』
ろう梅という不思議な花がある。落葉樹のせん木であるが、年の瀬もおしせまった頃に黄色の花をつける。ロウ紙のようなくすんだ花を枝いっぱいにつけ極寒に耐えながら二月頃まで咲き続ける。
この時期の花としてはツバキもあげられるが、春の訪れを告げる花のような派手さはない。すべての木々が冬支度を終え、眠りにつく時に冷たい雨にぬれ、雪をかぶりながら開花してゆく。
四季の変化や事の変わり目というのは、私たちに節目を与え、リズムを作り出してくれる。時の流れは何の変化もないただのひと刻みであり、明日の前の今日なのだが、日を改め、事を改め、時を刻むということが限りある命の営みに節目を生み出してくれるのである。
この何十年かの歴史には四季の変化の厳しさを嫌い、心地よさだけを求めてきた膨大なエネルギーと資源を費やして、汗をかくほど暖房し、震えるほど冷房し、豊かで便利な世の中になったと信じてきた。しかし、その心地よさは四季の感覚を失い、時の変化をあいまいなものにし、果てしない明るい未来があるような錯覚を生み出すことにもなったのである。
どうであろう、この五十年の歩みは。高度成長という名のもと新幹線に高速道路、空港の拡張に港湾の整備、ビルの林にカラー舗装、水路はすべてコンクリート造り、これでもかこれでもかと言うほど公共投資がなされ、街は一変した。三種の神器として売り出されたテレビに洗濯機、冷蔵庫は家庭生活を**、繕いをする道具もなく買い替えた方が安くて便利ということで何もかも使い捨ての時代になった。
停滞し始めた経済の中、一人一人が自分の個室を持ち、自分の車を持ち、自分のテレビを持つようになった。
弾けてしまったバブル経済、国や地方自治体のかかえる借金も気が遠くなるほど膨れ上がってしまった。そこに立て直しの為の何百兆円という単位のニュースが流れているがいかがなものか。
二十一世紀に入った今、春が来ることだけを信じて冬を過ごすのではなく、冬の厳しさの中にただ独り冷たい雨を含んだかのように咲くろう梅の花が何とも不思議な味わいで語りかけてくれるのだが。


田舎の葬式

2004-09-24 11:07:00 | のほほん日記
じいちゃんの葬儀の為3日間ほど、母方の実家に行ってました。
そこは海と山に囲まれた田舎でのんびりしたところ。
こっちはまだ家で通夜と葬儀を催す習慣が残っていて、私たちがついたときは仏間と外2つの客間の引き戸が片付けられていて、大きな広間に生まれ変わってました。
古い家なので広いのは知ってたけど、
扉を開け放すとさらに広く感じます。
棺おけのじいちゃんに挨拶をし、その夜はじいちゃんの側で母と一緒に寝ました。
こっちは法事が終わるまでずーと仏間の電気をつけておくので、明るくて疲れてるのに全然寝れなかったです。
次の日は親類がたくさん来るのでそのもてなし準備の為朝5時おきでした。
そんなに早く起きたことはしばらくなかったので辛かった。
広い家ですが親族だけでもうぎゅうぎゅうになります。
じいちゃんは7人兄弟、ばあちゃんは11人兄弟だったので、その兄弟や母の従妹を合わせると恐ろしいことになります。
通夜も葬儀も親族だけで埋まってしまい、一般の参列者は縁側や庭や入口付近で立って葬儀を見てるので、異様な雰囲気でした。
私も寺やセレモニーホール以外の葬式は初めてだったので驚きました。
火葬のやり方も少し違ってて、残った骨を頭・胴・足に3区分にし、火葬場では新聞紙に包み持ち帰ります。
そして自宅で親族みんなで足・胴の部分を骨壷にいれ和尚さんにお経を上げてもらい、最期に改めて頭の部分を入れる。
葬儀の喪主以外選ばれた20名の女性が白衣という不思議な羽織を着せられます。
その地方や宗教の違いだろうけど、はじめてみることが多く驚きのことが多かったです。
そして外の親族に手作りの食事が振舞われます。この量がめちゃくちゃ多くて大変でした。
そして接待!限られた場所でたくさんの親族が食べるので入れ替わり立ち代りものすごく忙しい。
ところで一番驚いたのは死んだじいちゃんが死ぬ前に自分の「葬儀の事業書」という計画書を作ってたことでした。
几帳面なじいちゃんらしいけど、細かい字でびっしり書き込まれた計画書を見てると改めてすごいなぁとおもいました。
喪主のおじさんはこの計画書を見て葬儀を取り仕切ってました。
じいちゃんは写真も4年前にとりに行ってて、用意してたらしいです。
死んだ後も抜かりなく準備するじいちゃんの几帳面さにただただ驚きました。