離れのじいちゃんの絵が飾ってある部屋でここ最近書かれたと思う文章があったので写してきました。
ここに載せたいと思います。
(達筆な文章だったので一部読めないところがありその部分は**でおいてます。)
『タイトル未定』
ろう梅という不思議な花がある。落葉樹のせん木であるが、年の瀬もおしせまった頃に黄色の花をつける。ロウ紙のようなくすんだ花を枝いっぱいにつけ極寒に耐えながら二月頃まで咲き続ける。
この時期の花としてはツバキもあげられるが、春の訪れを告げる花のような派手さはない。すべての木々が冬支度を終え、眠りにつく時に冷たい雨にぬれ、雪をかぶりながら開花してゆく。
四季の変化や事の変わり目というのは、私たちに節目を与え、リズムを作り出してくれる。時の流れは何の変化もないただのひと刻みであり、明日の前の今日なのだが、日を改め、事を改め、時を刻むということが限りある命の営みに節目を生み出してくれるのである。
この何十年かの歴史には四季の変化の厳しさを嫌い、心地よさだけを求めてきた膨大なエネルギーと資源を費やして、汗をかくほど暖房し、震えるほど冷房し、豊かで便利な世の中になったと信じてきた。しかし、その心地よさは四季の感覚を失い、時の変化をあいまいなものにし、果てしない明るい未来があるような錯覚を生み出すことにもなったのである。
どうであろう、この五十年の歩みは。高度成長という名のもと新幹線に高速道路、空港の拡張に港湾の整備、ビルの林にカラー舗装、水路はすべてコンクリート造り、これでもかこれでもかと言うほど公共投資がなされ、街は一変した。三種の神器として売り出されたテレビに洗濯機、冷蔵庫は家庭生活を**、繕いをする道具もなく買い替えた方が安くて便利ということで何もかも使い捨ての時代になった。
停滞し始めた経済の中、一人一人が自分の個室を持ち、自分の車を持ち、自分のテレビを持つようになった。
弾けてしまったバブル経済、国や地方自治体のかかえる借金も気が遠くなるほど膨れ上がってしまった。そこに立て直しの為の何百兆円という単位のニュースが流れているがいかがなものか。
二十一世紀に入った今、春が来ることだけを信じて冬を過ごすのではなく、冬の厳しさの中にただ独り冷たい雨を含んだかのように咲くろう梅の花が何とも不思議な味わいで語りかけてくれるのだが。
ここに載せたいと思います。
(達筆な文章だったので一部読めないところがありその部分は**でおいてます。)
『タイトル未定』
ろう梅という不思議な花がある。落葉樹のせん木であるが、年の瀬もおしせまった頃に黄色の花をつける。ロウ紙のようなくすんだ花を枝いっぱいにつけ極寒に耐えながら二月頃まで咲き続ける。
この時期の花としてはツバキもあげられるが、春の訪れを告げる花のような派手さはない。すべての木々が冬支度を終え、眠りにつく時に冷たい雨にぬれ、雪をかぶりながら開花してゆく。
四季の変化や事の変わり目というのは、私たちに節目を与え、リズムを作り出してくれる。時の流れは何の変化もないただのひと刻みであり、明日の前の今日なのだが、日を改め、事を改め、時を刻むということが限りある命の営みに節目を生み出してくれるのである。
この何十年かの歴史には四季の変化の厳しさを嫌い、心地よさだけを求めてきた膨大なエネルギーと資源を費やして、汗をかくほど暖房し、震えるほど冷房し、豊かで便利な世の中になったと信じてきた。しかし、その心地よさは四季の感覚を失い、時の変化をあいまいなものにし、果てしない明るい未来があるような錯覚を生み出すことにもなったのである。
どうであろう、この五十年の歩みは。高度成長という名のもと新幹線に高速道路、空港の拡張に港湾の整備、ビルの林にカラー舗装、水路はすべてコンクリート造り、これでもかこれでもかと言うほど公共投資がなされ、街は一変した。三種の神器として売り出されたテレビに洗濯機、冷蔵庫は家庭生活を**、繕いをする道具もなく買い替えた方が安くて便利ということで何もかも使い捨ての時代になった。
停滞し始めた経済の中、一人一人が自分の個室を持ち、自分の車を持ち、自分のテレビを持つようになった。
弾けてしまったバブル経済、国や地方自治体のかかえる借金も気が遠くなるほど膨れ上がってしまった。そこに立て直しの為の何百兆円という単位のニュースが流れているがいかがなものか。
二十一世紀に入った今、春が来ることだけを信じて冬を過ごすのではなく、冬の厳しさの中にただ独り冷たい雨を含んだかのように咲くろう梅の花が何とも不思議な味わいで語りかけてくれるのだが。