京都国立博物館の「大絵巻展」http://daiemaki.exh.jp/が今週で会期を終えてしまうので、もう行ける日は今日しかない!と朝てきぱきと家事を済ませて、京都にお出かけ。だってチケットを友達Rさんよりいただいているので、いかないとね。MOTTAINAIもん。
「新日曜美術館」で「大絵巻展」を放映されたときには、不覚にも途中で眠ってしまった。「絵巻」というものに、あんまりピンとこなかったのだと思う。自分で思っているほどには、すごく観たい!というわけでもなかったのかも。有名どころが展示されるので、とりあえず押さえとこうか、くらいの「観たさ」だったのか?
京都駅に着いた頃には、まだ前途に苦難が待ち構えているとも知らず、のんびりと「時間があれば隣の三十三間堂もいってみようかなー」なんてのどかな事を考えていた。
だから、京都国立博物館の入口で「90分待ちですー」「2時間待ちですー」と係員の方々が叫んでいるのを聞いたときには、思わず「三十三間堂だけにしとこーか?」と78%考えてしまった。
以前「フェルメール」観たさに大阪まで行って「2時間待ちですー」と云われ、計算すると娘の幼稚園のお迎えに到底間に合わなくて、泣く泣く引き返した悪夢が甦った。
今回は幸いタイムリミットは無い。遅くとも夕方までに帰宅できれば大丈夫だ。幸か不幸か今週行われる読書会の課題本も100ページ以上残っている。列に並びながら二宮金次郎のように読書三昧できるじゃない。いこう、そして本物の絵巻を観ようじゃないの! MOTTAINAIことはしちゃいけない。
列に並びながら二宮金次郎の真似をするのは、予想以上に辛い物があった。行為自体は子どもの頃からやり慣れている。が、後ろについた年配のご婦人グループがかしましくて、いちじるしく集中力をそがれてしまうのだ。
「歩きながら本読んではるで」なんもせんとひとりで列並ぶの辛すぎるわ!「私やったら目眩するわ」なんもせんかった方が目眩するわ。
「やっぱり若いんやなー」びみょーな若さやけどな。
「車の中とかでも、あかんやんなー。動きながらとっても本はよめへんわー」。車の中は私だって辛いわー!
と、ついつい心の中でつっこんでしまい、もう一度、開いたページの最初から読むはめに。あー、進まないったら!
読んでいたのは白洲正子/著「近江山河抄」。いにしえよりの歴史が眠る滋賀県に住んでいて、本当によかったー!!と、つくづくうれしくなる内容である。古典の素養が深く、揺るぎない美意識をお持ちなだけでなく、洒落のわかる人でもある白洲さんの文章は、そんな雑音!の中でもどきどきするほどの人となりを身近に感じられた。
いつ果てるとも解らなかった列がようやっと終わり、入館したとたん、列が動かなくなる。いらいら。
・・・あかん、こんな気持で「本物の絵巻」を観たって、全然意味ない。前列で見るのはあきらめて、人垣の後ろからちょこちょこと覗いて行く。あれだけの列の割に、空いてる所は空いている。そんな風にしながらも、十分に鑑賞できた。
それにしても、侮っていました、ごめんなさい絵巻さん。本物の絵巻のパワーに、どきどきとときめいてしまいました!
平安、鎌倉、室町のものなのに、鮮やかで透明感のある色彩がきちんと残っていて、それだけでも驚き。
レプリカや図録で飽きるほどみた「鳥獣戯画」の本物を初めてみたけど、ちがうわー、やっぱり。どきどきするもんな、観てると不思議に。
めぼしい絵巻が片端からみられて、そのどれもこれも個性的で、まるで絵本を観ているよう。
発色の素晴らしさに、隣でみていた女性は舌を巻いていらした。モノクロの絵も、白黒のバランスが際立って洗練されていたし。群像シーンのある絵の大勢の登場人物たちも、それぞれに違う表情があるのでひとりひとりを丹念に見て楽しめた。
行ってよかったですー! 絵巻の素晴らしさに触れられたこともだけれど、私が展覧会に行きたいのは、新鮮なときめきを探しに行ってるんだ、ということにも気づかされました。Rさん、チケット、ありがとう!
「新日曜美術館」で「大絵巻展」を放映されたときには、不覚にも途中で眠ってしまった。「絵巻」というものに、あんまりピンとこなかったのだと思う。自分で思っているほどには、すごく観たい!というわけでもなかったのかも。有名どころが展示されるので、とりあえず押さえとこうか、くらいの「観たさ」だったのか?
京都駅に着いた頃には、まだ前途に苦難が待ち構えているとも知らず、のんびりと「時間があれば隣の三十三間堂もいってみようかなー」なんてのどかな事を考えていた。
だから、京都国立博物館の入口で「90分待ちですー」「2時間待ちですー」と係員の方々が叫んでいるのを聞いたときには、思わず「三十三間堂だけにしとこーか?」と78%考えてしまった。
以前「フェルメール」観たさに大阪まで行って「2時間待ちですー」と云われ、計算すると娘の幼稚園のお迎えに到底間に合わなくて、泣く泣く引き返した悪夢が甦った。
今回は幸いタイムリミットは無い。遅くとも夕方までに帰宅できれば大丈夫だ。幸か不幸か今週行われる読書会の課題本も100ページ以上残っている。列に並びながら二宮金次郎のように読書三昧できるじゃない。いこう、そして本物の絵巻を観ようじゃないの! MOTTAINAIことはしちゃいけない。
列に並びながら二宮金次郎の真似をするのは、予想以上に辛い物があった。行為自体は子どもの頃からやり慣れている。が、後ろについた年配のご婦人グループがかしましくて、いちじるしく集中力をそがれてしまうのだ。
「歩きながら本読んではるで」なんもせんとひとりで列並ぶの辛すぎるわ!「私やったら目眩するわ」なんもせんかった方が目眩するわ。
「やっぱり若いんやなー」びみょーな若さやけどな。
「車の中とかでも、あかんやんなー。動きながらとっても本はよめへんわー」。車の中は私だって辛いわー!
と、ついつい心の中でつっこんでしまい、もう一度、開いたページの最初から読むはめに。あー、進まないったら!
読んでいたのは白洲正子/著「近江山河抄」。いにしえよりの歴史が眠る滋賀県に住んでいて、本当によかったー!!と、つくづくうれしくなる内容である。古典の素養が深く、揺るぎない美意識をお持ちなだけでなく、洒落のわかる人でもある白洲さんの文章は、そんな雑音!の中でもどきどきするほどの人となりを身近に感じられた。
いつ果てるとも解らなかった列がようやっと終わり、入館したとたん、列が動かなくなる。いらいら。
・・・あかん、こんな気持で「本物の絵巻」を観たって、全然意味ない。前列で見るのはあきらめて、人垣の後ろからちょこちょこと覗いて行く。あれだけの列の割に、空いてる所は空いている。そんな風にしながらも、十分に鑑賞できた。
それにしても、侮っていました、ごめんなさい絵巻さん。本物の絵巻のパワーに、どきどきとときめいてしまいました!
平安、鎌倉、室町のものなのに、鮮やかで透明感のある色彩がきちんと残っていて、それだけでも驚き。
レプリカや図録で飽きるほどみた「鳥獣戯画」の本物を初めてみたけど、ちがうわー、やっぱり。どきどきするもんな、観てると不思議に。
めぼしい絵巻が片端からみられて、そのどれもこれも個性的で、まるで絵本を観ているよう。
発色の素晴らしさに、隣でみていた女性は舌を巻いていらした。モノクロの絵も、白黒のバランスが際立って洗練されていたし。群像シーンのある絵の大勢の登場人物たちも、それぞれに違う表情があるのでひとりひとりを丹念に見て楽しめた。
行ってよかったですー! 絵巻の素晴らしさに触れられたこともだけれど、私が展覧会に行きたいのは、新鮮なときめきを探しに行ってるんだ、ということにも気づかされました。Rさん、チケット、ありがとう!
