紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

尼について

2007-07-14 21:39:36 | ノンジャンル
 Kちゃんに「漢字の宿題をしたけど、間違っていないか見て」と言われ、チェックした。中学生の漢字の読みなんてチョロい、とタカを括っていたが、「『声符』って? 『肌膚』って?」とPCだのみもちらほら。『声符』(せいふ)は号令のこと、『肌膚』は「はだ」「はだへ」「きふ」といろいろに読めるらしい。中学生の漢字、難しすぎる。だって最初は「『音符』とか『皮膚』の間違いじゃないの~??」と思ったもの。

 ところで「尼」という漢字の下には、読み方として鉛筆で「しり」とかいてあった。大笑いしてしまったが、たしかに似てるよね、尼と尻。なるほど。「尻将軍」とか、「尻寺へ行け!」とか、漢字を入れ替えて遊んでみたりした。

 尼という漢字のつくりは尸(しかばね)である。つくりの読み方からして禍々しい。尼になる、というのは、オンナという意味では死にました、みたいな意味なのか?

 しかし尻の他にも、尿とか屁とか屎(=糞)とか、尸のつくりの漢字には、スカトロ系の漢字が見受けられる。その中に、なぜ尼が? おとしめられた漢字なのだろうか?
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、

 近世以降少女または女性をいやしめて呼ぶときにも尼という語を用いた。

とある。いくら「いやしめる」といっても、なにもそこまで・・・とも思うが。

 それにしてもKちゃんのおかげで尼について、新たな知識を得ることができた。

 たとえば、
中世以降は一般に、夫と死別したり、離婚したり、老婆となった時など、姿かたちだけ尼となった。たとえば、源頼朝妻の北条政子は尼となり、権勢を振い、尼将軍と呼ばれた。
本物の尼でなくとも、姿形だけ尼だったんだ。単なるコスプレだったのか。知らなかったな。他にも

日本最初の尼は、584年に蘇我馬子が出家させた司馬達等の娘 善信尼 ら3人である。

鎌倉仏教は、従来の女性軽視の立場を反省し、女性の救済を説いたが、法然は、当時、愚かものの代名詞の観すらあった尼入道に深い理解を示した。

民間の巫女は修験の山伏と夫婦になって祈祷や託宣を行ったが、剃髪の風習が巫女にも及び、修験巫女は比丘尼とよばれた。このような比丘尼は各地を遊行し、これを背景に八百比丘尼の伝説が生まれた。 熊野信仰を各地に広めた熊野比丘尼は六道図や熊野曼荼羅などを絵解きし、江戸時代に入ると宴席にはべる歌比丘尼となり、売春婦に転落するものもいた。

尼は日本仏教のほぼ全ての宗派に置かれたが明治維新以降は儒教的な家父長制の価値観が旧武士階層以外にも広まり、これに加えて国粋主義も台頭した昭和期には日蓮正宗のように尼を廃止した例もある。



うーん、やっぱり明治より、大きく変わったんだな、いろんな事が。日本の伝統を守る、っていっても、たかだか明治時代からのことを指して「伝統」って言ってることもあるのかもしれない。やっぱり高校生には日本史をみっちり教えなきゃね。