紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

とも、遠方より来たる。

2007-02-13 15:52:45 | おでかけ
 というわけで、立ちっぱなしのハードなお仕事にも関わらず美しく微笑むJR案内係のキレイなお姉さんの近くを、『バーティミアス』を抱えて怪しげにうろうろ。いつもは「なんとなく胡散臭げ」くらいの怪しさだという自覚はあるが、今日は「本格的に怪しい人」にみえるかも。と、やや、はらはら。

 それでも、ちゃんとkoyateruさんに声をかけていただき、ひと安心。

 彼女が新幹線に乗るまでの限られた時間なので、時間を気にしつつも多岐にわたってお話できた。学校図書館について、格安旅行のあれこれをご教授いただき、教師の労働状況について語り合い、自分の住んでいる県についてや、内田樹先生や蕃茄さんについての話題で盛り上がり、「へええ~」とか「あー、そうなの?」と、かなり楽しいひとときをご一緒できた。

 それにしてもなんとパワフルな方なんだろう・・・とあらためて感心。武術の達人のように生活の中で無駄な動きをされず、時間の使い方も非常に上手いんだろうな。フットワークも軽いし、守備範囲も広いし、休暇がとれたら一気に遠方まで旅行されたりしている。とても身軽に、人生を満喫されているという印象。

 初対面ながらざっくばらんに、なんでもお話できた。私にしては珍しく、ちょっと重めだったりの話も。日常のテリトリーが違うので、かえって本音で話せる部分というのもあるのかもしれない。

 可笑しいのは、二人とも知っているはずの固有名詞が出て来ない事があり、「あの人、あの綺麗な人!」「わかります! でも名前が出て来ない~」とふたりで必死に考え込むも、結局出て来ずじまい。誰のことかは二人ともわかってるのに、名前だけが・・・おばさん会話の落とし穴に、しっかりとはまってしまいました。

 帰宅してすぐPCで検索して「ああ~、この人だよ~」。便利な反面PC検索って曲者なのかも。「覚えなくても検索すればいいや」という大きな油断により、知識が脳をスルーしてしまう無意識の習慣に陥ってる可能性大である。気をつけなければ。

 彼女はとてもラフで気さくでさばけた方なのだが、ときおり心の裏まで見透かすようなスルドイ視線をされるのだ。うう、無意識の邪心みたいなものまで見抜かれていたらどうしよう・・・と実は内心どきどきしていたのも事実。

 2時間程の二人茶話会の後、koyateruさんは新幹線で帰途につかれた。

 ほとんど頭が空っぽ状態で、集中力に欠けていたかもしれない。瓢箪ナマズのような応答に呆れられていたりしたかもしれない。と、帰宅途中はひとり反省会。

 これに懲りずに!?またお会い出来れば、嬉しいです、koyateruさん。お忙しいところ、時間をさいていただき、本当にありがとうございました! 

初デートのように

2007-02-12 22:44:21 | おでかけ
 今朝はせっかく家族全員が休日で、しかも私までお休みだというのに、予定より30分は早く目覚めてしまい、とっても損した気分である。遠足(または旅行)当日の子どもの気分で、無意識に「寝てらんない」状態だったのかも。いいオトナのすることではないのに。

 お天気は上々で、うららかな春のような空気の肌触りである。おでかけにはうってつけの日ではある。これで睡眠時間を損した分を埋め合わせる。

 昨日はデートの前日のように、落ち着かなくてやや緊張し、待ち合わせ場所を再三ネットでチェックし、その近くの喫茶店もいくつかチェックし、就寝は12時をとうに越えてしまったというのに、早めに目覚めてしまったので、脳内はほぼ停止状態である。

 思考がままならない状態で、初対面の人とお会いするのはどうか?なのだが、思考がままならないと無駄に緊張もしないので、差引ゼロなのかも、と無理矢理プラス思考にたぐり寄せる。

 「会いましょう」という事が決まって以来、ネット上では充分お付き合いがあるのだけれど、とにかくお互いにビジュアルとしては全く認知できないので、絶対他人と重複しないだろう目印になるものを考えてみた。目印になるような、派手で中年女性が決して持ち歩かないだろう、そしてお互いに認識出来る本を抱えて行くことを思いつく。

 本棚を眺めてみたら、『バーティミアス』の第1巻(未読)を発見し、即決定! こんな分厚くて、重そうで、インパクトある表紙の本を持ってうろついているヤツ、まず、おらんやろ~。もし何らかの事情で長らく待つ事があっても、これだけの分厚さなら退屈しないし。

 もっとも電車の中で読んでいたのは、奥田英朗/著「トンデモ精神科医・伊良部先生シリーズ」第3弾の『町長選挙』。京都駅に着く直前に1話目「オーナー」を読了し、ほのぼのうるうるで物語世界にのめり込んでしまった。

 思考停止の上、奥田英朗ワールドを引きずる私が京都駅で待ち合わせたのは、静岡県の小学校の先生koyateruさんだったのでした。「毎日読み聞かせ」というブログを書かれて私のブログにもリンクを貼らせていただいている。関西に見えられる折に、お会いしませんか?と持ちかけたら、即快諾くださり、日にちも速攻でご指定くださったのである。ブログで拝見する通りの、素晴らしい決断力と実行力であった。

 そしてこの続きは、明日へと持ち越されるのである。
 

Kちゃん語録

2007-02-11 14:25:40 | ファミリー
 今日はもともと用事が入っていたのが、キャンセルになりのんびりKちゃんと過ごす。

 お昼はマクドナルドでテイクアウトを希望したKちゃんと一緒に西友のショッピングモールへ。ふと見ると、なんとなく目を引く丸いサングラスの小柄な年配のオジさんが、西友の駐車場を歩いてらした。
「見てっ、Kちゃん! あの人、かなり怪しい雰囲気のおじさんや! アラーキーみたいや!」 
「えっ? ボヤッキーみたい??」

 説明するまでもないと思いつつも、説明しよう。「アラーキー」は写真家/荒木経惟氏のことであり、「ボヤッキー」は往年のテレビアニメ『タイムボカン・シリーズ』の「ヤッターマン」に登場する三悪トリオの一人である。

 昼下がりにのんびりとクイズ番組『アタック25』を観る幸せ。私がクイズに「剣山!」と回答すると、すかさずツッコむKちゃん。
「あの、針が大量発生してるやつやろ?」「そうそう(笑)」
「針が群になってるやつやんねぇ?」「・・・(爆笑)」

 そしてブラウン管の中では『アタック25』のトップ賞が紹介されていた。ダイヤモンドのついたネックレスにはスルーしていたKちゃんの意識も、「10万円分のお食事券を差し上げます」というアナウンスには気色ばんだ。

「えっ!? 10万円!? 10万円分のお食事券もらえたら、めっちゃ振る舞えるやん!!」

 「振る舞える」って、きみ? きっと友人知人にわんさか振る舞うつもりに違いない。来るべきバレンタインデーにも、女の子の友達にあげるため、ミニミニチョコの大袋をいくつか買い込み、何種類かを仕分けしてセットし、せっせと袋詰め作業を繰り広げていたもんなあ。「なんか袋詰めのパートみたいや~」と、実に嬉しそうだった。判で押したようにお父さんにそっくりな性格である。

 「血は争えない」という言葉を久方ぶりに思い出した、梅の香漂う2月である。

探し物は何ですか?

2007-02-10 22:28:39 | ノンジャンル
 PTAの仕事もお兄ちゃんの卒業と共に、引き継ぎ準備をせねばならない。

 私の前の役員さんはそれは几帳面で、1年間の仕事の流れがわかるよう、すべての書類をコピーして残しておられ、蓄積された情報を見やすく整理し、私が最初に取りかかる仕事を箇条書きにして具体的に明瞭化してくださった。なんと有り難かった事だろう。

 わずかな時間を利用して、さっきも少しだけ書類の整理にかかっていた。広げられた紙類の海に難破しそうになってるお母さんをみて、娘が呆れていた。あちこちのクリアファイルに分散していた書類が、ある程度まとめられほっとする。

  人生の多くの時間を「探し物」に費やしている私は、時間があると一念発起して、細かな整理作業を試みる事がある。

 ところが、なのだ。整理され、すいすいと目的の物がみつかるはずなのに、整理前の置き場所しか覚えていない、という絶望的な悲劇に見舞われる事もしばしばである。整理後の洋服ダンスや引き出しに、大きな付箋を貼り所在を明らかにすることすらある。認知症一歩手前では??と、自分自身におそれおののくことすらある。

 図書館司書という整理、分類をし、どこにどの本があるのかを、即座にみつけるという能力が要求される仕事なのに、私生活にまったく反映されないのが、実に悔しくも悲しい。仕事とプライベートは意識して分けるようにしているのがいけないのか? 換金される時間内でしか、整理、分類+それを見いだす能力は発動されないのか?

 ところで井上陽水の『夢の中へ』という歌詞の中で、「探し物をやめたとき、みつかるのもよくある話で」という部分がある。1年前のブログで、30年前に作家の北杜夫さんからファンレターのお返事のハガキをいただいた、と書いた。そしてそれが探しても見つからなかった、ということも後続で書いた。

 先頃、押入れをひっくり返して「ひとり探し物大会」を繰り広げていた。Kちゃんの学習発表会に使えそうな、私の着られなくなった洋服などを探していたのだ。

 そのとき、押入れの奥の奥の院より発掘した紙袋に、怒濤のような年賀状が入っていた。そしてついに念願の北杜夫さんのハガキを発見した。結果的に、1年がかりであった。

 大喜びでKちゃんに見せびらかしたが、当然のように「だれ、このひと?」とのたまう。当時大ブレイクした作家さんで、「違いのわかる男」の珈琲のCMにも出てたんやでぇ~!と必死に説明する。「まあ、とにかく、ファンレターに返事くれはるなんて、ええ人やなあ」という理解までにはこぎつける。
 
 そうや、ええ人のファンになれて、お母さんもうれしいわ。





ぞんべら祭り

2007-02-09 14:20:42 | 新聞
 2月7日の朝日新聞朝刊の、テレビ欄裏/三面記事下の「青鉛筆」の話題である。

 みうらじゅん著『とんまつりJAPAN』を読んでからというもの、一気に「祭り」というものにアンテナを立ててしまうようになった。

 しかし祭りというものは、基本的に伝統行事であり神事なので、どんなにとんでもなかったり、とぼけていたり、意味不明だとしても、それなりに枠というか規定も存在する。その伝統行事や神事における枠というものについて、とっくりと考えさせられた記事であった。引用すると

 石川県輪島市門前町の鬼屋神社で6日、約700年前から続くとされる「ぞんべら祭り」(県無形民俗文化財)があり、平均年齢75歳の4人の早乙女が豊作を祈願した。

 まず「ぞんべら祭り」という語感にぞくぞくする。
 「ぞんべら」・・・ほとんど妖怪の名前のように意味不明で奇々怪々な語感が、やたら楽しい。ぞんべら、ぞんべら・・・と唱えていると、いつしか目の前に天狗が現れそうな呪術的な響きがする。調べてみると、「ぞんべらは田んぼに水をぞんぶり(たくさん)の方言がなまったもの」だそうである。
 しかし、なのだ。祭りに至るまでには、様々な人々の様々な苦悩が渦巻いていたようだ。

 本来早乙女役は4歳から12歳頃までの女児。だが、過疎化が進み、地元に女児がいないうえ、若い女性のなり手もなく、「窮余の策」で白羽の矢を立てた。

 少子化対策は「一人頭でタイムリミットまでに子どもを産むキカイをどれだけ持てるか」という目先のことだけ見ていたってしょうがない。労働状況や過疎化込みで広い視点で網羅する対策を立てなくちゃね。幅広く、かつ深く社会状況を分析出来る人でないと「対策」なんて夢のまた夢かも。

 でも今年の平均年齢75歳、4人で299歳のおばあちゃんたちは、地域の文化を守るべく、曲がった腰を伸ばして立ち上がった。少女時代以来65年ぶりに早乙女を勤めた方もいらっしゃる。

 これからは、伝統文化はカタチを変えて、それぞれの地域で守られてゆくのかもしれない。伝統の枠に縛られて消滅するよりは、生き残りを賭けて「女児=早乙女」という枠を越え、伝統に縛られず文化を守ってゆくのが「ぞんべら祭り」のスタイルになるのだろう。