教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

自分の余命

2010-10-08 00:01:21 | 経済/経済/社会
よく映画などでは、主人公が不治の病(よくあるのが白血病)に侵され、そのまま恋人との余生を過ごしながら感動的に死んでいくというストーリーが描かれる。

はたしてこれは一般的なのだろうか?
・・・ふとそう思い至った。



もし自分に扶養家族がいたら、死ぬに死ねないと思って映画のように苦悩するだろう。
もし自分にリアルに恋人や妻子がいたら、死にゆく自分を気遣って感動的に死を迎えられるだろう。

しかしわたしの場合、扶養家族もいなければ、愛する人はPSPの中にしかいないという。
さて、どうなるもんか。

その手掛かりを見つけたので紹介したい。



余命1週間と言われた男の日記

> 30代独身男です。
> ある難病に侵されています。
> 病院では治療法もなく余命1週間と宣告されてしまいました。
> その日からすでに1週間過ぎてしまいました(笑)
> だからブログをはじめて見たいと思います。
> 不定期適当に更新します。

http://ameblo.jp/yomei



↑ここは、ありていに言えば医者から死の宣告を受けた男の闘病生活blogとなる。
しかし悲壮感はあまり感じられない。
読んでみればわかるが、ただの何のことはないふつうのblogである。

これを読んで思った。
わたしが死の宣告を受けてもこうなるかもしれんな・・・と。

わたしの場合、自分が死んでも困る人はいないので、いつ死んでも問題ない。
だから死の宣告を受けても
「俺の余命短すぎワロタw」
とか、
「余命あと○日らしいからストパン2を全部見直した。一気に見たから死ぬほど疲れた」
とか、
「今日は自分の棺桶に入れていっしょに焼く用のフィギュアを買出しに行ってきた」
とか、そんなことを軽いノリでblogに書き込んでしまうかもしれない。

家族が死ぬ時は大変辛い。
だがわたしの場合、自分が死ぬときは自分自身は大して悲しいとは思わないのではなかろうか。



2007/02/03
> しばらく 意識不明になっておりました



↑これは同blogの最後の更新(全文)である。
当blogもいつかそうなる日が来るかもしれない。