教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

キャラと同化する事

2010-10-10 00:05:03 | オタネタ全般
韓国の小学校では、
「いま太平洋戦争中だったらあなたはどうしますか?」
という問いに対し、ほぼ全員が
「ぼくは抗日戦士になる!」
と答えるらしい。

アタマがいかれているとしか思えない。

そもそも当時の朝鮮ではそのような積極的な反体制主義者などほとんどいなかったし、上海に拠点をおいていた自称亡命政府もエロ写真を売って生計をたてていたというくらいの活動しか知られておらず本当に抗日活動をしていたのかどうかすら定かではない。
にもかかわらず韓国の小学生は積極的に抗日をやると言っている。

なぜこうなったのか?
当時の大人どもはそろいもそろって親日派(韓国人にとってはこの上ない蔑称)だったのか?

それは現代の歴史認識が当時の世評とはかけ離れたものになっているからに他ならないからだ。



実際、たとえば現代の日本でもヒトラーを当選させた当時のドイツ国民はバカだったんじゃないのかと思っているようなヤツもいる。
そしてそういうヤツらに限って
「俺が当時のドイツ人だったらヒトラーなんか絶対支持しないよ! 支持してたヤツらは道徳的に何か問題があったんじゃないの!?」
などと言い出す。

もちろんこれは正しくない。

当時のドイツは第一次世界大戦の責任を全部かぶせられて、経済はジンバブエなみに完璧に崩壊していたし、なにより全責任をおしつけられてムカついていた。
ヒトラーはその戦勝国のエゴのゴリ押しに異をとなえ改善しようとしていて実行力を高く評価されていたし、ぼろクソだった経済をたったの4年で立て直したという天才政治家でもあった。
ヒトラーがやりはじめた(そして今でも韓国や北朝鮮で行われている)民族主義的な(我が民族が最も優秀なんだ的な)行動は誰がどう見ても間違っているが、ナチスの標榜していた国家社会主義は必ずしも間違いではない。
そしてなによりヒトラーは演説が非常にうまく、国民の心をうまくつかんだ。

ひょっとしたらバルバロッサ作戦のころになると何かおかしいと感づくかもしれないが、ヒトラーが出てきた直後あたりならわたしはきっと
「ハイルヒットラー! ジークハイル!」
と、やよい式ハイタッチのポーズをとりながらそう言ってたろうと思っている。

そこまでいってはじめて歴史を正しく理解したと言えるくらいになるのではなかろか。
史実うんぬんよりも日本が絶対的に悪者だということを前提に歴史を創作する愚か極まる韓国人とは対極の考え方だ。



さて。
これは実は創作の世界にもあてはまる。

正義の味方なり世界征服をもくろむ悪の帝王なりが出てきたとしよう。

彼らが何を考えているのか。
何を思ってそう行動するのか。

それを理解できてはじめてその作品に感情移入できる。
それが全くなければ、没頭できないばかりか単にアホじゃあるまいかと斜めに見るだけでおしまいになってしまう。

正義の味方には正義の味方なりの、悪の帝王には悪の帝王なりの、それなりのその行動を選択したに値する十分な理由があるはずだ。
もちろん、先の韓国人が創作した自分史のように、日本は悪者だから悪者らしき行動をしたのがアタリマエなのだというような、そんな腐った理由など理由になりはしないのだ。

そうでなければ良い作品などできやしない。
そうでなければ登場するキャラに感情移入して楽しむことなどできやしない。



キリスト教系の文化では善悪二元論になりがちで、そういった考え方はあまりないのかもしれない。
しかし韓国を除くアジア圏では、多神教の文化があるからか、必ずしも善悪二元論に固執するわけでもない気がする。

完全な善悪二元論の世界では勧善懲悪の作品しか作ることができなくなる。
現に韓国で作られている日本が登場する映画では、必ず日本が悪者として登場して善なる韓国が懲罰してやる的な勧善懲悪の作品になっているか、韓国人がアダムで日本人がイブなんだ的な病的に偏った恋愛作品しか作られることはない。
それを見てあざけり笑う分にはいいかもしれないが、そんな作品しか消費しなかったとしたら心が病んでしまうだろう。
・・・いや、現に病んでしまっている気もするし、病んでいるからこそそういう作品しか作られないのかもしれないな。

だが日本はそうではない。
これは作品を作るうえで大きな強みになっているのかもしれない。
それを生かすのは日本のコンテンツ産業のめざす方向の1つかもしれないと思う。