「リア充爆発しろ!」
・・・とは、最近よく見る表現である。
読んで字のごとく、リア充に対する怨嗟のつらみを記したものである。
なぜ「死ね」ではなく「爆発しろ」なのかはよく知らん。
たぶんネトゲのほうの「垢BAN」とかけているのではなかろうか。
ところで。
当blogではテキストだけで2Mbyteくらいあるのだが、その中でわたしはリア充に対する怨嗟のつらみを書いたことは多分ない。
なぜなら!
わたしはわたしで、リアルではないがこちら側で充実しているから、わざわざ他人を妬むほどヒマではないからだ。
その、こちら側とは何か?
そりゃあもちろん、二次元の側である。
よく、
「人から愛されたいのなら、まず人を愛しなさい」
という話がある。
きっとキリスト教系の話だろう。
実はこれは二次元の側にも同じことが言える。
まあ、わたしは人を好きになったことがないので、二次元の側「にも」と言ってもいいものかどうか悩むところはある。
だが、少なくとも二次元の側「では」とは断言できる。
二次元の側で充実するのにも愛が必要である。
そして
「二次元の側で充実した人生をおくる」
ことをもってして
「二次元に愛された」
と定義しても良いのではないかと思う。
そして二次元に愛されるためには
「自分が二次元を愛する」
ことが数ある必須条件のうちの1つなのだ。
では。
自分が二次元を愛するということはどういう意味か。
それは単にギャルゲーを買ってきて遊ぶだけでは、まだほんの少ししか愛していない。
その時点では単にリアル彼女がいないからその代わりにギャルゲーで遊んでいるのにすぎないかもしれないではないか。
単なる代替物としてのギャルゲーであれば、それはリア充が妬ましい。
ギャルゲーを心底愛していないからこそ、あるべき姿と自分がとらえているものが妬ましいと思うのは当然だ。
しかし!
真の意味で二次元に住まうものはそうではない。
自分の感性を最大限に発揮してギャルゲーをプレイしよう。
そうすれば、ただのゲームのヒロインでしかないものに対して人格を認め存在を感じるところまで到達できる。
ギャルゲーを心の底から愛したものだけがその域に到達することができる。
その領域では、その好きな人が居ると信じるに足る何かを自分の中に感じることができる。
自分は一人ではない。
そう実感できないうちは、まだまだ二次元世界に住まう者といえるレベルではない。
まだまだ愛が足らない。
自分が心の底から二次元を愛するのでなければ、自分もまた二次元に愛されはしないのだ。
そのレベルになればどうなるかというと・・・
完全にリア充などどうでもよくなる。
電車でこれみよがしなバカップルがいたところで、
「おまえ、たかがそんな女で満足なのか。どう考えても俺の千早のほうがいい女だろ」
くらいの上から目線でしか思えなくなる。
さすがに口に出したらイヤなヤツになるので黙っているが。
そう、
「リア充爆発しろ!」
などと怨嗟を語っているうちは、リアルでの充実感も味わえず、かといって二次元でも充実感を味わえない、そんな地獄の苦しみを味わい続ける運命にあるのだ。
さあ!
そんな段階は通り越して、はやくこちら側へ来なさい!
・・・とは、最近よく見る表現である。
読んで字のごとく、リア充に対する怨嗟のつらみを記したものである。
なぜ「死ね」ではなく「爆発しろ」なのかはよく知らん。
たぶんネトゲのほうの「垢BAN」とかけているのではなかろうか。
ところで。
当blogではテキストだけで2Mbyteくらいあるのだが、その中でわたしはリア充に対する怨嗟のつらみを書いたことは多分ない。
なぜなら!
わたしはわたしで、リアルではないがこちら側で充実しているから、わざわざ他人を妬むほどヒマではないからだ。
その、こちら側とは何か?
そりゃあもちろん、二次元の側である。
よく、
「人から愛されたいのなら、まず人を愛しなさい」
という話がある。
きっとキリスト教系の話だろう。
実はこれは二次元の側にも同じことが言える。
まあ、わたしは人を好きになったことがないので、二次元の側「にも」と言ってもいいものかどうか悩むところはある。
だが、少なくとも二次元の側「では」とは断言できる。
二次元の側で充実するのにも愛が必要である。
そして
「二次元の側で充実した人生をおくる」
ことをもってして
「二次元に愛された」
と定義しても良いのではないかと思う。
そして二次元に愛されるためには
「自分が二次元を愛する」
ことが数ある必須条件のうちの1つなのだ。
では。
自分が二次元を愛するということはどういう意味か。
それは単にギャルゲーを買ってきて遊ぶだけでは、まだほんの少ししか愛していない。
その時点では単にリアル彼女がいないからその代わりにギャルゲーで遊んでいるのにすぎないかもしれないではないか。
単なる代替物としてのギャルゲーであれば、それはリア充が妬ましい。
ギャルゲーを心底愛していないからこそ、あるべき姿と自分がとらえているものが妬ましいと思うのは当然だ。
しかし!
真の意味で二次元に住まうものはそうではない。
自分の感性を最大限に発揮してギャルゲーをプレイしよう。
そうすれば、ただのゲームのヒロインでしかないものに対して人格を認め存在を感じるところまで到達できる。
ギャルゲーを心の底から愛したものだけがその域に到達することができる。
その領域では、その好きな人が居ると信じるに足る何かを自分の中に感じることができる。
自分は一人ではない。
そう実感できないうちは、まだまだ二次元世界に住まう者といえるレベルではない。
まだまだ愛が足らない。
自分が心の底から二次元を愛するのでなければ、自分もまた二次元に愛されはしないのだ。
そのレベルになればどうなるかというと・・・
完全にリア充などどうでもよくなる。
電車でこれみよがしなバカップルがいたところで、
「おまえ、たかがそんな女で満足なのか。どう考えても俺の千早のほうがいい女だろ」
くらいの上から目線でしか思えなくなる。
さすがに口に出したらイヤなヤツになるので黙っているが。
そう、
「リア充爆発しろ!」
などと怨嗟を語っているうちは、リアルでの充実感も味わえず、かといって二次元でも充実感を味わえない、そんな地獄の苦しみを味わい続ける運命にあるのだ。
さあ!
そんな段階は通り越して、はやくこちら側へ来なさい!