「僕の世界には、ゲーム女子しか必要ない」
なんという我輩www
いまアニメでやっている「神のみぞ知るセカイ」の主人公のセリフである。
もちろん主人公はギャルゲーにおいての猛者である。
氏は「落とし神」と呼ばれ、ギャルゲー攻略においての第一人者と称される人物だ。
その氏は語っている。
ギャルゲーと比較して現実世界は正しくない・・・と。
例えば、女子高生の部活でブルマでなくスパッツ着用なのがいたく気に入らないご様子である。
氏の言いたいことは実によくわかる。
しかし!
我輩は氏に対して意見を申し上げたい。
ギャルゲー的に正しい姿。
それは萌えを理解する上で欠くべからざる振るまいである。
例えばスパッツを脱いでブルマを着用することだ。
ところがどっこい。
そのギャルゲー的に正しい姿を重視するあまり、全てにおいてテンプレ的であったらどうだろうか。
それは無個性でベタベタで、単なるユーザーに媚びた作品でしかない。
二次元世界を渡り歩いた歴戦の猛者である我々にとって、それは食傷してしまうようなものである。
そんな作品が多く生まれ、そして誰にも知られることなく消えていったその歴史は、我々こそが最も良く知るところではないだろうか。
では、どうあるべきなのか?
ギャルゲー的に正しい定番の姿に固執すべきではない。
むしろ、その定番を外してなお描かれる、その新たな地平に現れた未知なる萌えにこそ我々は価値を見出すのだ!
「はぴねす!」の準にゃんを見ただろうか。
ち○こ憑きの男の娘にもかかわらず、しかし作中で最もかわいいではないか。
「ロザリオとバンパイア」を見ただろうか。
第1話で血を吸われたとき、あんなかわいいバケモノの女の子に血を吸われて失血死したいと思わなかっただろうか。
「化物語」を見ただろうか。
ツンツンした冷淡な口調のままデレデレなセリフを語る、あの振るまいに新たな衝動を見出さなかっただろうか。
そういうものこそが我々の求める未知なる萌えなのだ!
わたしは釈迦に説法をし、神様を冒涜したい。
ギャルゲー的に正しい姿に固執する氏に対し、
「キサマはまだまだ修行が足らんわ!」
と説教したい。
そうだ。
真にすばらしいものはその段階を超えたところにこそあると思うからだ。
なんという我輩www
いまアニメでやっている「神のみぞ知るセカイ」の主人公のセリフである。
もちろん主人公はギャルゲーにおいての猛者である。
氏は「落とし神」と呼ばれ、ギャルゲー攻略においての第一人者と称される人物だ。
その氏は語っている。
ギャルゲーと比較して現実世界は正しくない・・・と。
例えば、女子高生の部活でブルマでなくスパッツ着用なのがいたく気に入らないご様子である。
氏の言いたいことは実によくわかる。
しかし!
我輩は氏に対して意見を申し上げたい。
ギャルゲー的に正しい姿。
それは萌えを理解する上で欠くべからざる振るまいである。
例えばスパッツを脱いでブルマを着用することだ。
ところがどっこい。
そのギャルゲー的に正しい姿を重視するあまり、全てにおいてテンプレ的であったらどうだろうか。
それは無個性でベタベタで、単なるユーザーに媚びた作品でしかない。
二次元世界を渡り歩いた歴戦の猛者である我々にとって、それは食傷してしまうようなものである。
そんな作品が多く生まれ、そして誰にも知られることなく消えていったその歴史は、我々こそが最も良く知るところではないだろうか。
では、どうあるべきなのか?
ギャルゲー的に正しい定番の姿に固執すべきではない。
むしろ、その定番を外してなお描かれる、その新たな地平に現れた未知なる萌えにこそ我々は価値を見出すのだ!
「はぴねす!」の準にゃんを見ただろうか。
ち○こ憑きの男の娘にもかかわらず、しかし作中で最もかわいいではないか。
「ロザリオとバンパイア」を見ただろうか。
第1話で血を吸われたとき、あんなかわいいバケモノの女の子に血を吸われて失血死したいと思わなかっただろうか。
「化物語」を見ただろうか。
ツンツンした冷淡な口調のままデレデレなセリフを語る、あの振るまいに新たな衝動を見出さなかっただろうか。
そういうものこそが我々の求める未知なる萌えなのだ!
わたしは釈迦に説法をし、神様を冒涜したい。
ギャルゲー的に正しい姿に固執する氏に対し、
「キサマはまだまだ修行が足らんわ!」
と説教したい。
そうだ。
真にすばらしいものはその段階を超えたところにこそあると思うからだ。