「武」という字は「戈 (ほこ)」と「止」からなっていて
「戦闘を止める」つまり、闘わずして勝つことである
という道場訓が桂小五郎の生き方に影響を与えたと歴史秘話で聞きました。
別の解釈として
「武」は「戈」と「止」からなり、「戈」は武器であることは確かである。
しかし、「止」は「止める」ではなく「あしあと」の意味で、
「歩く、進む」の意味で使われている。「武」は「戈を執って進む」こと
(中野康明の雑学ペ-ジ)にかかれてありました。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/lang/langb4.htm
真の成り立ちはさておき、後から解釈がつくのは、
漢字に心や思想を吹き込んでいるようで楽しいことです。
ところで、先日は漢字を使ったユニークなワークをしました。
人という文字は、ささえあう姿にたとえられます。
頭では、人が支えあう姿は尊いものだと理解できますが
実際に2人でこの姿勢をとってみると、30秒で苦しくなります。
互いに自立して手をつなぐ H の姿勢で、しんどさは軽減しました。
それぞれが自然な姿で、手をつないだり離したりして
人々という集団を形成しているのですね~。
「戦闘を止める」つまり、闘わずして勝つことである
という道場訓が桂小五郎の生き方に影響を与えたと歴史秘話で聞きました。
別の解釈として
「武」は「戈」と「止」からなり、「戈」は武器であることは確かである。
しかし、「止」は「止める」ではなく「あしあと」の意味で、
「歩く、進む」の意味で使われている。「武」は「戈を執って進む」こと
(中野康明の雑学ペ-ジ)にかかれてありました。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/lang/langb4.htm
真の成り立ちはさておき、後から解釈がつくのは、
漢字に心や思想を吹き込んでいるようで楽しいことです。
ところで、先日は漢字を使ったユニークなワークをしました。
人という文字は、ささえあう姿にたとえられます。
頭では、人が支えあう姿は尊いものだと理解できますが
実際に2人でこの姿勢をとってみると、30秒で苦しくなります。
互いに自立して手をつなぐ H の姿勢で、しんどさは軽減しました。
それぞれが自然な姿で、手をつないだり離したりして
人々という集団を形成しているのですね~。