若いころからいくつもの奉仕集団に所属してきたのは
そこに魅力的な人がおり、人間関係も居心地がよかったからである。
自分にとってのメリットが最優先の頃、
労働奉仕はともかく なぜ経費まで? と不平不満ぶーぶーの時があって、
ある日、気づいた。
私が代金を請求すると、予算が無いので誰かのポケットマネーを貰うことになる。
私の担当作業だから責任の範疇だと、
生活費から渋々出すから負担を感じるのだ。
少額なのに、奪われてる・損している という被害者意識が強かった。
義務だと感じて苦しかった。
そこで、義援積立を始めてみた。
バースデイ寄付のように、幸せなイベント時に寄付するのを真似た。
私の都合を優先してくれた 助けてくれた 元気が出た
ごちそうになった お土産をいただいた 駐車場で配慮してもらった
いい気分にしてもらった、大切にしていただき、ありがたいなあ~
という感謝のコインを貯めて、基金とした。
主に手土産や、ボランティア経費に使う。
おのずと支払金額には限度があり、積立額以上は出さない。
生活費の枠外なので、ためらいなく使えるし
恩返しは嬉しさを思い出すチャンスだ。
さて、義援は、人として人を応援・支援するという、尊い行為である。
ところが、気持ちに余裕がなければ、頑張るほどに、しんどくなる。
立派なビジネスマンや先生、良くできた妻・夫 父・母 とても良い子が、
こころの病にかかりやすいのは
限りなく、周囲の人のために 自分を抑えて無理を続けたからではなかろうか。
或いは、周囲の人々が彼の頑張りを当然と勘違いし
感謝しないか、彼の気持ちに無関心でいるからだろう。
どこまでやるかのラインを引くことは大切なことで
疲れて何もやりたくない時は、しなくてもよい。
期待に添えない時は、----気持ちの良い挨拶をする---
それだけで充分だと思う。