幼なじみのAちゃんから、訃報の電話をもらう。
母が小学校の教員だったので
夏休みに遊びに来た彼女と私は出逢った。
その後の文通で、仲良くなった。
県外の大学から帰省した時には
彼女の実家である八百屋を訪ねた。
おじいさんの作ったお漬物を新聞紙に
クルクルと包んで持たせてくれたのが
母と同じ年の Aちゃんのお母さんだった。
店先で私を見つけると、
すぐに小走りで駆けより 必ず
「よく頑張っといでる」「貴女は偉い」
「きれいになった」「考え方が素晴らしい」と、
何度も何度も 褒めちぎってくださった。
私の<根拠のない自己肯定感>は、
こうして<無条件の称賛>をたくさん浴びたせいに違いない。
「出来ない事は、ひとつもないから
したいことを想像してごらん。
おばちゃんに話してくれたら 二人で想像しよう。
夢の中は、自由だよ」と励ましてくださった。
マッチ売りの少女が 寒さに凍えながら灯す光の
わずかな瞬間に 喜びを感じたように
死にゆく途中でさえ 幸せを感じることが必要と教わった
文学少女だったおばちゃんらしいと感じている。
Aちゃんが県外にお嫁に行って
おじいさんが亡くなって しばらくして
八百屋のシャッターが下りたままになった。
おばちゃんが、Aちゃんと同居するようになった便り
が届いた頃は、自転車で颯爽と走る姿を想像していた。
伊予柑を絞った果汁も、飲めなかったと
声を詰まらせていたAちゃんに
身体が思い通りに動かなくなってからも、
空想の世界で 自由にふるまっておられた気がする
と手紙を書いて、
今日は「ありがとうございました」のお線香を届ける。
後日、そちらにうかがうまで しばしのお別れです。