怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

元巨人・桑田選手の「体罰不要」論に拍手・・・朝日新聞のインタビュー記事に思う

2013年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪のバスケットボール部の生徒が自殺した問題が連日のように報道されています。この問題で注目させられたのが桑田さんの記事です。

1月12日の「朝日新聞」に桑田さんのインタビュー記事が載っていました。社会面の中心に、顔写真入りの大きな記事でした。

桑田さんは、

「私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。」「今でも思い出したくない記憶です」と赤裸々に語っています。

体験を基に「体罰は必要ない」と主張し、さらに踏み込んで「『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰」だと言うのです。「監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です」と。

「暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法」だとも言っています。

これは大変な勇気のいる発言ではないかと思うのです。

「こんなことを言って、今後、野球界で生きていけるのかな?」と心配になってしまいます。

それは、60年ほど生きてきた自分の人生そのものが「大勢に逆らうな」と教えるからです。うまく立ち回ることのできない性分から、何度、苦い薬を飲んだことか…。

今のスポーツ界には「殴って根性を鍛える」というような愚かな傾向がはびこっていると思います。桑田さんの発言は、それらに逆らう発言だと思います。

「アマチュアスポーツにおいて、『服従』で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしい」・・・、その通りです。しかし、これは大変な問題に違いないと思います。

桑田さん、頑張れ! 生徒の「自殺」(他殺ではないかとすら思われます)を無駄にしてはならない!

【追記】

一連の報道で不思議なのは、当事者の教諭が報道陣の前で、全国民、特に子どもたちに、謝っていないことです。

                    2013年1月15日  正弘 記

    

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秋の空 やーい

2012年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

見て下さい、この秋の空。

ただの秋の空なのに、ショックを受けるようなその色、その深さ、そのすがすがしさ・・・。

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雪との闘いなど、大変なことも多いけど、でも俺は田舎の人間だなあ。

生きててよかった・・・と思う。

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農家のみなさんのおかげで、今年もおいしいお米が食べられそう

2012年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

山の田んぼでも、お米の収穫時期。

これは、私の住んでいる山形県寒河江市の山の田んぼです。

ありがたいことに、今年も、こうしてお米が「熟成」されています。

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なぜ「熟成」って言うの?
これは私の勝手な表現です。
刈り取られた稲が、こうして杭に掛けられ、山の秋の日射しと風と雨、そして朝晩の冷え冷えとした空気にさらされておいしくなっていくように思うのです。
   
普通は、刈り取ったら、稲は乾燥機にかけて乾燥させます。

自然乾燥などと、まどっろこしいことはやっていられないのでしょう。
素人の私が思うには、そんなに急に乾燥させられたら、お米に細かなヒビが入ってしまうのではないでしょうか? それでは、お米の粘りがなくなってしまうのでは?
   
何年か前から、わが家では、山の田んぼで、このようにしてお米をつくっているAさんにお米を頼んでいます。
ありがたいことに、Aさんは毎年、お米を分けてくれます。

何も農作業を手伝っていないので、後ろめたい気もありますが、今年もAさんの好意に甘えることにしました。おかげさまで、東京の子どもや孫たちも喜んで食べることができます。
みんな、お米が大好きです。

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いじめてる時の自分の顔ってどんな顔?

2012年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

「 いじめ」が問題になっていますが、いじめてる時の自分の顔って見たことありますか?

私も少々年をとったので、現場に立ち会った記憶が定かでありません。

でも、この前、わが家の犬で、びっくりすることがありましたので、ちょっと一言。

いつもの朝の散歩で、猫を見つけた愛犬(茶々丸)が猛ダッシュ。猫も素早く逃げて行ってしまったのですが、その時の茶々の顔は印象的な変化を示しました。

犬でも、こうなんです。

ちょっと写真を見てください。

     

① 猫を見つけて猛ダッシュ!

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② 「やっつけてきたぜー、親分」

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③ 「ざまーみろ、おれは強いんだ」

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④ 「僕はいい子でーす」

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たった10分間くらいの間の表情の変化なんです。

犬でもこうなんですから、人間なら、いじめてる自分はそうとう自分でも嫌いになるような顔をしてるんじゃあないですか?

そして普段はいい子なんでしょうね。だから人間は難しい。

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本物に会いたかった:フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に、

2012年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

8月3日の午前に山形を出て4日午後には戻るというトンボ帰りで、東京・上野の「真珠の耳飾りの少女」に会ってきました。

東京にいる娘と落ち合って、東京都美術館のマウリッツハイス美術館展に行ったのです。

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自分の働いている事務所(保険相談所)に「真珠の耳飾りの少女」の複写が飾ってあり、「値段の割にはいい絵だ」と思っていたのですが、本物に会いたかったのです。

複写は版画印刷という技法で作成されており、本物っぽかったし、毎日見ている間に好きな絵になってきていました。

     

でも、本物を知らずに「これはいい絵だ」というのはどうでしょうか?

覆面の女性を好きになるようなものかもしれません。

覆面のままでもいいのでしょうが、でも本物に会いたくなる・・・そんなことかな?

    

きっかけは、昨年、会社の日帰り旅行で石巻(宮城県)に行った時、みんなで宮城県立美術館に立ち寄ったことでした。

たまたまフェルメールなどの展示をしていて、その時は「真珠の耳飾りの少女」の絵はなかったのですが、複写は売っていました。以前から「事務所に絵を飾りたい」と思っていたので、みんなで「これはいいかも…」となり、この絵を買ったのでした。

今も目の前に飾ってあるのですが、見ていて飽きないんですよね。

この絵からフェルメールを知り、フェルメールも好きな画家の1人になりました。

     

「生活の中に絵があるっていいなあ」と思うこのころです。ささやかな贅沢です。

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やったー! フェルメールを買ったよー

2011年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、11月3日は、年に1回の日帰り社員旅行(たった数人の有限会社)でした。

              

「金を使うなら被災地で」と、宮城県石巻に行きました。その帰りに宮城県立美術館に寄って「フェルメールからのラブレター展」を見てきました。

フェルメールの絵は3点でしたが、《手紙を書く女と召使い》がいいなあと感じました。

何年も前から「事務所に絵を飾りたいねえ」と話しあってきてたのに、どんなふうに買えばいいのか分からないし、通販では騙されたらと心配だし、そんなにお金は出せないし・・・と、ずうっと決まらずに来ていました。

突然、「よし、ここで買おう」「失敗して変なコピーになったらなったで、仕方ないや」と、急に腹が決まりました。「今日買わなかったら、いつまでも買えない」と思ってしまったのです。フェルメールの魔力かもしれません。

       

《真珠の耳飾りの少女》の額を49,800円(!)で買いました。もちろん複製ですし、版画です。これが高いのか、安いのか? まったく分かりません。でも、社員みんなで「これがいいねえ」となったのです。

実際に絵が来るのは約3週間後だそうです。

本当に来るのか?

今日見た見本と同じものが送られてくるのか?

心配が一杯です。

でも、不思議なことに、大金を使ったのに、「とうとう買ったー」とすがすがしいのです。

不安だけど、楽しみ一杯なんです。あまりに嬉しくて、つい、ブログに書いてしまいました。もう真夜中の4時近いのに。

届いたら事務所に飾りますので、遠慮なく見に来てくださいよ。

    

絵がきました。この絵です。宮城美術館で見た見本と同じでした。

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どうですか、いい絵だと思うんですけど。事務所の壁ですけど、絵を飾ろうと、ずーっと開けてたスペースなんです。普通は、保険の代理店というとポスターやグラフで一杯なんでしょうけど、うちはそういうものがほとんど無いんです。

   

この絵を毎日見てるんですが、飽きがきません。やっぱりフェルメールは絵が上手なんだなあと思います。

朝、この絵を見ると、なにかすっきりして仕事の意欲が湧きます。夜遅く見ると、あんまり本物ぽいんでぞくっとする時もあります。

一度、事務所に絵を見に来てください。あるお客さんが「買い得でしたね」と言ってました。(12月10日追記)

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水鳥が眼の前に・・・家の近くの最上川で

2011年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

31日の日曜日の夕方、犬と妻と3人(正確には2人と1匹)で、近くの公園に散歩に行ったときのこと。

昨日までの大雨で、最上川が、芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」のようになっていました。その岸近くの木々のそばの、ちょっと流れが緩やかなあたりに、水鳥が4羽、遊んでいました。

濁流の激しさと、水鳥のゆったりさが、なにか印象的で、はいパチリと携帯で1枚。

「写真撮った?」とでも聞くようにして、「そんならいいね」とばかりに流れにすーと乗り出し、濁流を楽しむかのように揺られながら流れていってしまいました。

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ヘルニアから、歩き方の勉強に・・・歩き方も難しい?

2011年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

6月、7月と、椎間板ヘルニアで左足がしびれ、結構、苦しんでいました。

当初は整形外科に始まり、指圧や温泉浴など、いろいろと試みましたが、症状が軽くなるにつれ、早足の散歩や腰の体操などが中心になりました。

助けられたのは犬の茶々丸に。

毎朝、無理やり起こされるので、足がしびれて辛いけど、なんとか散歩を続けることができました。

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大いに参考になったのは、整形外科で渡された『弁慶・牛若丸の腰痛教室』という薄いパンフ。

特に「腰に負担をかけない歩き方」として、「かかとから着地」し、「後ろ足はつま先で地面をける」というのが難しかった。

子どもの時から何十年もやっていることなのに、歩くって難しいんですねえ。

なかなか、後ろ足の「つま先で地面をける」というのができなかった。

気にして歩きだしてから1か月も経ったころ、数日前の朝の散歩で、「“つま先でける”のがうまくいかないのは、足の指先が固まっているというか、縮こまっているからでは?」と、ふっと気づいたのです。

   

ずうっと革靴中心の生活をしてきているので、足の指が真ん中寄りに縮こまっているようなんです。だから、つま先でけるといっても、指先に柔らかく力が入らないようなんです。

こういう見かたはどうでしょうかね?

間違ってる?

それからは仕事中もスニカーで歩き、靴の中で、思いっきり指を開いているんですが…、これって腰にいいのかな?

  

歩き方のおまけは、散歩の途中で、軍隊調に、思いっきり膝を上げて歩くことです。これを200歩くらい歩くと脚が疲れてくる、なんか効いてるという感じなんですが?

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かあちゃーん ありがどさまー! ゆっくり休んでけろよー!

2011年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

4月15日午後7時42分、お袋が亡くなった。

文字通り「無くなって」しまった。

もう存在しないんだから、2度と会うことはできない。

    

今年の1月9日、夜中の2時ころにトイレで倒れて、山形市立済生館病院に救急車で運ばれ、入院に。それから約3カ月の入院生活だった。

当初は、血便したということもあり、「大腸癌かも、検査を」とすすめられたが、「90歳の高齢で、癌だとしても手術しないし、癌が急速に進むこともないから、検査で苦しめたくない」と検査を断った。医者も「血液検査の結果では特に問題ない」となり、点滴と酸素吸入で1か月を過ごした。

意識はあったが、ほとんど何も食べず、みるみる痩せていった。

医者は「食べないのが問題で、このままだと1週間くらいで衰弱して死んでしまう」と、胃に穴を開けて流動食を流し込む「胃ろう」の手術をすすめた。

「食べるようにさえなれば、元気になる」と、強く胃ろうの手術をすすめた。

残念だったし、悔いが残るのは、自分の勉強不足のために、胃ろうの手術に強く反対しきれなかったこと。

お袋が「ボケてる」と言っても、話は半分くらい分かっていたし、意思を表現することもできていたのに、「ボケた年寄り」と見て、胃ろうの手術のことをお袋に説明しないままの手術になってしまったこと。

          

胃ろうの手術後、約1カ月、表面的には体力が回復したようで、済生館の担当医師から「これ以上、治療する必要はない」。「胃から流動食を流し込むだけで、家族でもできる」と、退院を強制された。

2月28日、やむを得ず、山形市のはずれにある山形厚生病院に転院した。

病気というよりも「痴呆がひどい」ことを理由の入院だった。

ところが、転院先の入院前検査で、「肺に水が溜まっていて、相当に危ない」と医師から告げられた!

肺は半分以上、真っ白だった。

医師は「済生館は、なんで、こんな患者を退院させたんだ!」と激怒し、「すぐ戻せ!」とどなった。

胃ろうの手術後には、流動食が逆流し、肺や心臓に水が溜まりやすいのだそうだ。

そんな危険についての何の説明もなく、胃ろうの手術から転院へと振り回された自分たちが情けない!

悪いのは自分だ! だめなのは自分だ!

お袋のもがく姿は見るに堪えなかった。

酸素マスクに、点滴、点滴の管を刺すところも無くなったと。両手は拘束されて、時には、下痢からお尻が爛れてしまい、廊下中に聞こえる大声で「痛いー痛いー」と叫んでいた。

    

お袋にとっての人生の最後を、人間として我慢できないものにしてしまった!

    

4月8日ころから、容態は目に見えて弱っていき、尿が出ないために浮腫みがひどくなってきた。

「手は、先週は揉んでほぐせたのに、パンパンに腫れ上がり、揉むこともできない」(4月8日)

    

「お医者さんから呼び出しがあった。容態が悪いと。今週はもたないかも、と。感覚や意識が鈍くなってきているので、それほど苦しみを感じてないのではとも言われて、なぜか、少しほっとした」、「親の緩慢な死を見つめ続けなければならないのは苦しい」(4月11日)

    

「Sさん、Nさんと一緒に行った。手はグローブのようにパンパンに腫れていた。顔色も、昨日よりも黒ずんできているように思った」。「酸素マスクをしながら、ぜーぜーと息苦しそうに口を開けていた。眼にはうっすらと涙がにじんでいるようだった」。「看護婦さんに頼んで痰をとってもらったら、楽になったのか、眼を半分くらいまで開けて、自分たちのほうを見た」。(4月12日)

    

「夕方、東京から、息子と、娘は1歳の子を連れて来てくれた。すぐに病院に行った。手はますます腫れていたが、顔は腫れていない。きれいなままなのにはびっくりする(お袋は、生まれ故郷の白岩で「白岩小町」とも言われた美人だったらしい)」。

眼は5ミリくらいしか開かない。それでも『正賢だよ』、『美世だよ』、『結菜も来たんだよ』と言うと、少し分かるらしく眼を少し大きく開けたり、なんか『うんうん』とうなずいているみたいな様子をする。」

「『お袋ー、90年もよく働いたなあー。頑張ってきたねー、だから子どもも孫もひ孫もみんな元気に育ってるんだよー』

離れがたかったが、30分ほど居て帰ってきた。」(4月13日)

     

「仕事が溜まっていて、夜の8時近くになった。正賢(息子)や妻たちは、親父も誘って、昼過ぎに病院へ。

夜遅かったからか、眼は1~2ミリくらいしか開かなかった。声をかけても反応は分からない程度。それでも、自分が来たのは分かってるみたいだ。

手は相変わらずパンパンに腫れているが、冷たくなってきている。尿が出ないので、その水分が溜まっているからかもしれないが、額も冷えてきているのを併せ考えると、体内の活力というか生きる力が、徐々に下がってきているのかもしれない。

『お袋ー、頑張ったねー。少し休んでいいんだよー。ゆっくり寝ていいんだよー』。

最近、小学生のころ、お袋に頭を刈ってもらったことを思い出す。バリカンが良くなかったのか、腕が悪かったのか、髪の毛が引っ張られて痛かったなあ。」

「もう1日か2日くらいでずっとお別れかも・・・」 (4月14日)

    

    

4月15日夜、いつものように病院に向かっている時、兄から「医者から危ないと連絡があった」と電話が入った。

19時40分ころ、病室に入ったら、お医者さんが付いていた。

脈拍は20~21だった。

かあちゃーん、ありがどさまー! おかげでみんな元気に育ったんだよー! もうゆっくり休んでけろよー!

    

そして、みるみる脈拍0に。

19時42分。

苦しい顔をせず、とても90歳とは見えないきれいな顔だった。

20時5分、お医者さんが、家族がそろったところで死を宣告した。

   

私が聞いたお袋の最後の言葉は、「おれは幸せだったあ・・・」という一言だった。

                 2011年4月24日 記

   

追記:

 4月17日、お袋の葬儀を行った。身内だけの質素な葬儀にと思ったが、若い人中心に、40人を超える参列者となった。子、孫、ひ孫の数を数えたら、子ども夫婦が8人、孫とその配偶者が21人、ひ孫が7人、さらに参列していたお腹の子どもが3人、合計39人にのぼっていた。子どもたちのために、お袋と親父が、どんなにがんばってきたことか。

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妻が「全治3カ月の骨折」!

2010年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

びっくりです。

日頃、カラ元気も含めて元気いっぱいの妻が、玄関で足を踏み外したとかで「足が痛い」と言ってたのですが、「医者に行かなくたって、じき治る」などと言いつつ、周りの勧めで整形外科に行ったら、

帰ってきたら、開口一番「全治3カ月だって」「足の細い骨が2本折れてるんだって…」と。

えーっ?!

骨折といっても、大事にしてれば治る怪我だから、大して心配はしませんでしたが、保険代理店としてのうちにとって、実は、今が一番忙しい時期。

普段の仕事のほかに、毎年のカレンダー配り800本の真っ最中、雪の降り始めだから自動車事故が一番多い時、正月休みの前の駆け込み仕事・・・などなど。その上、今まで使っていたパソコンは、いろいろやったが、やっぱり駄目。修理に出さなくてはとドタバタの真っ最中。

    

これらの他にも、今年の5月から預かってる茶々丸クンの朝晩2回の散歩、これは今まで、犬大好き人間の妻が一手に引き受けていました。

さらに、先週、95歳と89歳の両親が老人専用の食事つきマンションに引っ越したばかりで、息子として何もできてない自分が情けない、つらい時期なのです。(今日は、父が「母ちゃんが、ご飯食わないんだよ」と困り顔でした。)

    

正直、どうしたらいいか分からないほどの状態になったのでした。

    

それから1週間くらい、朝、昼の食事は、半分は立って食べるような状態。口びるには胃が荒れたときにできる腫れ物ができちゃうし・・・と、落ち込んでました。

   

でも、今朝、茶々丸と散歩していて、はっと気づいたら田んぼの向こうの山影からお日様が昇ろうとしていました。

見てください、この写真。

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実物は、写真よりもっと凄いんですよ!

大変なことも多いですが、でも、いいこともあるよね。

ふだん2000~3000歩しか歩かない自分が、茶々と妻のおかげで、昨日は7000歩だったし、心にも身体にもいいかも・・・。

みんな、がんばろうよ。

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