後藤健二さんが虐殺されたことは本当に痛ましく、悲しいことです。
二度とあってはならないことです。
そして、こうした人間としておこなってはならない蛮行を強行したテロリスト集団に対して、強い憤りをもって抗議するものです。
新聞報道によれば、後藤さんのお母さんの石堂順子さん(78才)は、涙ながらにこう言ったそうです。
「この悲しみが憎悪の連鎖になってはならないと、心から信じております」(2月2日付けの朝日新聞)。
なんてすばらしいお母さんでしょう。
それこそ「目には目を!」とばかりに、テロ集団への憎しみをぶつけてもおかしくないのに。
最近のこれらの報道を見るにつけ、私は胸苦しい思いをとり除くことができませんでした。
なぜなら、捕虜となった日本人とそのご家族や友人たちの苦悩・憤りを思うと同時に、どうしても、その蔭に隠されたようなアラブ、イスラムの民衆の嘆き・苦しみ、そして何万何十万もの奪われた生命…のことが頭をよぎるからです。
「イラクに大量破壊兵器がある、その証拠をつかんだ」と、何十倍もの軍事力でイラクを攻撃し、破壊し、殺戮したアメリカは、イラクの民衆にお詫びをしましたか?
その攻撃に追随した当時の小泉首相はイラク民衆に謝罪しましたか?
私は、今回虐殺されたお二人のご冥福をお祈りしますとともに、何万何十万のアラブ民衆の苦悩に深く連帯するものです。
二度とこのような不幸をひきおこさないために、そして世界の平和のために、今こそ私たちにできることは何かを考え、行動する時ではないでしょうか?
そして、それは、安倍首相が煽りそそのかしているような「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連帯してまいります」(2月1日の首相声明から)という憎悪の連鎖とは異質な人間的叫びだろうと思うのです。
2015年2月3日 東海林正弘 記