もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

鹿児島旅行記 ~ 知覧

2014年02月13日 | 旅行

西大山駅からの続きです。

知覧へ向かう途中に枚聞神社(ひらききじんじゃ)へお参りに寄りました。

「薩摩一の宮」で、開聞岳が御神体です。

社殿の後方には、開聞岳が構えています。

ここは、交通・航海の安全や漁業の守護神として崇敬されています。

宝物殿があり、そこにはたまて箱が収蔵されているとのことでしたが、浦島太郎ではなく、昔の蒔絵櫛笥と言う、箱がありました。

ちょっと残念でしたが、国の重要文化財にもなっている立派なものらしいです。

それからしばらく進み、池田湖です。

周囲15キロほどのカルデラ湖です。

琵琶湖を見慣れていると、大きさには驚きませんが、水深は233mもあるらしく、そちらに驚きです。

ちなみに琵琶湖は、100mくらい。

それと琵琶湖にはオオナマズが生息していますが、池田湖は大うなぎ。

確かに太くデカイうなぎがいました。

しかし、美味しくは無いと思います。

ちなみにこの大うなぎは、貸しボート屋さんが飼っておられます。

ただ、ポートの商売の方はヒマそうで、おじさんもボケーッとされていました。

以前は、ボート屋さんが数軒あり、それぞれで大うなぎが見られたようですが、どんどん店を閉められて、ここ一軒だけになっていました。

しかし、池田湖は大うなぎで有名なので、ここを訪れた人が訪ねて来られています。

ボートは借りずに、ただでうなぎを見るだけ。

おじさんヒマそうなので、50円くらい見物料を取ればイイのに、と思った次第です。

それと、イッシー。

一時期、ネッシー、クッシーなどと同じで、イッシーと話題になりました。

今は、古ぼけた看板だけで、話題にもなりません。

池田湖をさっさと後にして、先へと進みます。

途中の峠からの眺めです。

そして、いよいよ知覧へとやってきました。

知覧特攻平和会館を訪ねます。

映画の撮影に使われた飛行機。「隼」

こちらは、航空自衛隊の訓練機。

特攻隊の歌。

知覧教育隊の学校正門。

特攻平和観音堂。

三角兵舎。

中の様子。

ここで、若い隊員の方々は、どんな気持ちで過ごされていたのか・・・。

この後、平和会館の中を見学しました。

ここには、沖縄戦で特攻戦死された方々の、遺影、遺品、遺書、資料などが展示されています。

1036名の方の犠牲があり、中には17歳の若者もおられました。

写真を見ていると、まだまだ幼さが残る方がたくさんおられます。

遺書は、とても上手な字で、そして、立派に書かれています。

自分の二十歳前後の頃、いや51歳の今もそうですが、とても比べるに足りません。

あの頃の若い人たちは、歳は若くても精神的には、51歳の私をはるか超越した域に達しておられたことと思います。

スゴイ時代だったことを感じました。

今回、とてもたくさんの来館者がおられました。

皆一様に顔を引き締め、展示物を眺めていました。

また一度、ゆっくりと訪ねたいと思いました。

平和会館を出て、今度は、冨屋食堂へ行きました。

ここは、特攻の母として慕われた「鳥濱トメ」さんが営んでおられた食堂でした。

「わたしは、みんなのお母さんになりたかったの・・・。」

そんな思いから、戦後も飛行場跡地に棒杭を立てて、毎日休むことなく参拝を続けられていたそうです。

この建物の中は資料館となって、トメさんと家族、そして特攻隊員とのふれあい、エピソードが残されています。

特に有名なのが、新潟出身の宮川軍曹20歳のエピソード「ホタル帰る」

特攻の前日にトメさんへ「特攻したら、ホタルになって帰ってくる。」と言い残して出撃され、翌日の夜、話されていた通りの午後9時、食堂に一匹の大きなゲンジボタルが入ってきて、天井の梁にとまった。みんなが「宮川さんが帰ってきた。」と感じたと言う話です。

「小母ちゃん、死んだらまた小母ちゃんのところへ、ホタルになって帰ってくる」

私は、この話を読み、ホタルがとまった梁をしばらく見上げていました。

その他にも、「朝鮮人です。」と話して、祖国の歌アリランを泣きながら大声で歌って出撃していった光山少尉の話など、どれも読んでいるととても辛くなります。

と言うことで、こちらも是非もう一度訪ねたいと思いました。

知覧と言う地を訪ねて、忘れてはならないことをしっかりと感じました。

ちょっと気分が重くなりましたが、続いての目的地、鹿児島市へ向かいます。

続く・・・。

 

 

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