お昼前に雨が上がった1週間前のこの日、公園ランチを敢行
いつもの場所ではなく、反対側のあずまや風の席に陣取り
いつものパンにありついた
しっとり濡れた緑に包まれて
いつもの場所ではなく、反対側のあずまや風の席に陣取り
いつものパンにありついた
しっとり濡れた緑に包まれて
まだ6月だというのに、30度を超える暑さも3日めです。
そして、3週間ぶりの雨の降らない週末です。
昨日も今日もまずは洗濯!…で始まりました。
けれど、昨日はシーツやマットなどの大物を洗って干すのが精一杯。
ちょっと座っているだけでお昼前からこっくりこっくり…です。
これはダメだと、布団にもぐり込みました。
小1時間ほどで目が覚め、次のことをしようとするのだけれど、
身体も心もヘナヘナと力が入らない状態で、再び布団の中へ。
本を読んだりうとうとしたり…で、1日が終わりました。
昼間がこんな調子でしたから、夜間に目が冴えてしまうかも…と少々心配ではありましたが
朝までほぼぐっすり眠っていたようです。
その甲斐あって、今日は元気!
朝メシ前に洗濯と簡単な掃除を済ませ、新生姜でスパイシーなシロップも仕込みました。
午後一番に食料品の買い出しを済ませ、遅めのランチタイムはミッケラーのビールがお供。
休日の昼呑みなんて、ちょっぴり贅沢なことをさせてもらいました。
先週は特に仕事がハードでしたから、相当に疲れていたのだと思います。
呑み込めないような事態がいくつか続いて発生していたこともあり
金曜日はとても嫌な気持ちで帰途についたのでした。
自転車を漕ぎながらBoccoの頭をよぎったのは、宮沢賢治の詩「もう二三べん」。
ざわついた気持ちを抱えて帰宅した私は、あれこれと思いを巡らしました。
久々の「モンテの砦」です。
半端な正義感と現実との間で苛立つのは、成長のなさの証とも言えるでしょうが
変に物分かりが良い人間になることには強い抵抗を覚えます。
とはいえ、重ねたのは年月と年齢のみだったのかも…やれやれ。
良い考えをするためにも、疲労を溜めないことが大事だと再々再々再認識しました。
少し長くなりますが、以下引用させてください。
もう二三べん
もう二三べん
おれは甲助をにらみつけなければならん
山の雪から風のぴーぴー吹くなかに
部落総出の布令を出し
杉だの栗だのごちゃまぜに伐って
水路のへりの楊に二本
林のかげの崖べり添ひに三本
立てなくてもいゝ電柱を立て
点けなくてもいゝあかりをつけて
そしてこんどは電気工夫の慰労をかね
落成式をやるといふ
林のなかで呑むといふ
幹部ばかりで呑むといふ
おれも幹部のうちだといふ
なにを! おれはきさまらのやうな
一日一ぱいかたまってのろのろ歩いて
この穴はまだ浅いのこの柱はまがってゐるの
さも大切な役目をしてゐるふりをして
骨を折るのをごまかすやうな
そんな仲間でないんだぞ
今頃煤けた一文字などを大事にかぶり
繭買ひみたいな白いずぼんをだぶだぶはいて
林のなかで火をたいてゐる醜悪の甲助
断じてあすこまで出掛けて行って
もいちどにらみつけなければならん
けれどもにらみつけるのもいゝけれども
雨をふくんだ冷い風で
なかなか眼が痛いのである
しかも甲助はさっきから
しきりにおれの機嫌をとる
にらみつければわざとその眼をしょぼしょぼさせる
そのまた鼻がどういふわけか黒いのだ
事によったらおれのかういふ憤懣は
根底にある労働に対する嫌悪と
村へ来てからからだの工合の悪いこと
それをどこへも帰するところがないために
たまたま甲助電気会社の意を受けて
かういふ仕事を企んだのに
みな取り纏めてなすりつける
過飽和である水蒸気が
小さな塵を足場にして
雨ともなるの類かもしれん
さう考へれば柱にしても
全く不要といふでもない
現にはじめておれがこゝらへ来た時は
ぜんたいこゝに電燈一つないといふのは
何たることかと考へた
とにかく人をにらむのも
かう風が寒くて
おまけに青く辛い煙が
甲助の手許からまっ甲吹いてゐては
なかなか容易のことでない
酒は二升に豆腐は五丁
皿と醤油と箸をうちからもってきたのは
林の前の久治である
樺はばらばらと黄の葉を飛ばし
杉は茶いろの葉をおとす
六人も来た工夫のうちで
たゞ一人だけ人質のやう
青い煙にあたってゐる
ほかの工夫や監督は
知らないふりして帰してしまひ
うろうろしてゐて遅れたのを
工夫慰労の名義の手前
標本的に生け捕って
甲助が火を、
しきりに燃してねぎらへば
赤線入りのしゃっぽの下に
灰いろをした白髪がのびて
のどぼねばかり無暗に高く
きうくつさうに座ってゐる
風が西から吹いて吹いて
杉の木はゆれ樺の赤葉はばらばら落ちる
おれもとにかくそっちへ行かう
とは云へ酒も豆腐も受けず
たゞもうたき火に手をかざして
目力をつくして甲助をにらみ
了ってたゞちに去るのである
<『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)>
※ Boccoが初めてこの詩に出会ったのは小学生の頃でした。
祖母に買ってもらった子ども向けの「宮沢賢治集」(たぶん集英社刊)に収録されていたものですが、
上記の文言と全く同じものだったかどうかは不明です。
※一説によると、この詩は賢治自身が「疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず」としたものの一つだったようです。
勝手ながら、こちらのサイトを参考にさせていただきました。