沖縄タイムスの渡辺豪がまとめた「沖縄と福島から見えた日本」についてのインタビュー集に収められています。
小熊は本来は歴史社会学者なのですが、東日本大震災と福島第一原発事故以来、現在や未来の事柄についても積極的に発言するようになっています。
また、本来は膨大な文献を読みこなして、そこから小熊ならではの見解を導き出すことを得意にしているのですが、今はその立場を捨てて現場へ飛び出し、反原発のデモにも参加しています。
これは、「1968(その記事を参照してください)」を出した時に、現代を語るときに文献に頼りすぎて実地に人と会ってウラを取ることを怠っていると、ネット上などで批判を浴びたことと関係しているかもしれません。
しかし、こういった方法は小熊にはあまり向いていないようで、特定の政治勢力との関係に偏りすぎていることもあり、そういった運動の中で埋没しているような気がします。
このインタビューでも、「かつての日本の崩壊」、「利権政治の機能不全」、「原発のコストは(事故の補償などを入れれば)青天井(に高い)」、「安保(は)(利権政治にとって)残る最後の聖域」、「(安保や原子力問題で政府側への)対抗的専門家(を)育てよ」、「紙一重の(利権政治に対する)依存と自立(が生まれつつある)」「(東日本大震災以降は、日本では「無駄」「危険」は(国民の合意事項として)通る」、「さよなら原発10万人集会にて(自由参加の人たちが多いことに可能性を感じている)」などと、発言していますが、どれも目新しさはなく、インタビュアーのリードの中にとどまっている印象を受けました。
かねてから小熊は市民運動(「1968」ではベ平連)に対して過度の期待を持ち、それに自分自身も参画したいという気持ちが強いのですが、それによって検討対象が狭く偏ってしまい、彼の最大の魅力である全体を俯瞰する視点が損なわれているようです。
小熊は本来は歴史社会学者なのですが、東日本大震災と福島第一原発事故以来、現在や未来の事柄についても積極的に発言するようになっています。
また、本来は膨大な文献を読みこなして、そこから小熊ならではの見解を導き出すことを得意にしているのですが、今はその立場を捨てて現場へ飛び出し、反原発のデモにも参加しています。
これは、「1968(その記事を参照してください)」を出した時に、現代を語るときに文献に頼りすぎて実地に人と会ってウラを取ることを怠っていると、ネット上などで批判を浴びたことと関係しているかもしれません。
しかし、こういった方法は小熊にはあまり向いていないようで、特定の政治勢力との関係に偏りすぎていることもあり、そういった運動の中で埋没しているような気がします。
このインタビューでも、「かつての日本の崩壊」、「利権政治の機能不全」、「原発のコストは(事故の補償などを入れれば)青天井(に高い)」、「安保(は)(利権政治にとって)残る最後の聖域」、「(安保や原子力問題で政府側への)対抗的専門家(を)育てよ」、「紙一重の(利権政治に対する)依存と自立(が生まれつつある)」「(東日本大震災以降は、日本では「無駄」「危険」は(国民の合意事項として)通る」、「さよなら原発10万人集会にて(自由参加の人たちが多いことに可能性を感じている)」などと、発言していますが、どれも目新しさはなく、インタビュアーのリードの中にとどまっている印象を受けました。
かねてから小熊は市民運動(「1968」ではベ平連)に対して過度の期待を持ち、それに自分自身も参画したいという気持ちが強いのですが、それによって検討対象が狭く偏ってしまい、彼の最大の魅力である全体を俯瞰する視点が損なわれているようです。
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