双極Ⅱ型障害などの新しいうつ病に対する、看護アプローチについてまとめた論文です。
全体的に、新しいうつ病に対しても、患者及び家族の自己責任を問う姿勢が感じられて、これらが社会のひずみによって起こされている公害だという視点に欠けているのが気になりました。
もちろん看護というのはこうした新しい気分障害をマクロに扱うのではなく、患者一人一人をミクロにケアしなければならないのだということは理解できます。
しかし、陰で看護師たちが、旧来のメランコリー型の単極うつ病を「ピュアうつ」と呼び、新種の気分障害を「気ままうつ」、「不思議うつ」、「ファッションうつ」と揶揄していると書かれているのには、衝撃を受けました。
確かに、メランコリー型うつの治療法と看護法はすでに確立されていて、「薬物療法と十分な休息」によってかなりの確率で予後がいいので、看護師の立場では扱いやすいでしょう。
また、入院や通院している間の患者は、彼らを取り巻いている社会状況から一時隔離されているわけですから、看護師からはそれらが見えにくいのも事実です。
しかし、そういった社会のひずみと患者の関係を理解しないと、従来のメランコリー型うつ病とは違って完全に社会に復帰させることは難しいでしょう。
なぜなら、メランコリー型うつ病の患者の帰属する組織や社会は彼らを保護する機能を持ち合わせていますが、新しいうつ病の患者が帰属する組織や社会はすでにそれを放棄しているからです。
そういった状況下で、看護師たちがどのように患者と向き合うかについての考察が欲しかったと思いました。
全体的に、新しいうつ病に対しても、患者及び家族の自己責任を問う姿勢が感じられて、これらが社会のひずみによって起こされている公害だという視点に欠けているのが気になりました。
もちろん看護というのはこうした新しい気分障害をマクロに扱うのではなく、患者一人一人をミクロにケアしなければならないのだということは理解できます。
しかし、陰で看護師たちが、旧来のメランコリー型の単極うつ病を「ピュアうつ」と呼び、新種の気分障害を「気ままうつ」、「不思議うつ」、「ファッションうつ」と揶揄していると書かれているのには、衝撃を受けました。
確かに、メランコリー型うつの治療法と看護法はすでに確立されていて、「薬物療法と十分な休息」によってかなりの確率で予後がいいので、看護師の立場では扱いやすいでしょう。
また、入院や通院している間の患者は、彼らを取り巻いている社会状況から一時隔離されているわけですから、看護師からはそれらが見えにくいのも事実です。
しかし、そういった社会のひずみと患者の関係を理解しないと、従来のメランコリー型うつ病とは違って完全に社会に復帰させることは難しいでしょう。
なぜなら、メランコリー型うつ病の患者の帰属する組織や社会は彼らを保護する機能を持ち合わせていますが、新しいうつ病の患者が帰属する組織や社会はすでにそれを放棄しているからです。
そういった状況下で、看護師たちがどのように患者と向き合うかについての考察が欲しかったと思いました。
![]() | うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー) |
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