現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

皿海達哉「レウエンフークの顕微鏡」なかまはずれ 町はずれ所収

2018-12-11 16:47:12 | 作品論
 1976年に出版された作品で、皿海は1972年にデビューしていますが、彼の作品世界をよく表している作品だと思います。
 ベーゴマやビー玉と並んで、50年代から60年代前半にかけて子どもの遊びの主役だったメンコの世界を、皿海は熱っぽく語っています。
 皿海は1942年生まれなので、まさに彼が子どもの時代には、メンコは遊びの王者だったのでしょう。
 私は彼より12歳年下なので、小学生のころ(60年代前半)にメンコはやりましたが、すでに遊びの主流から外れていて、わっか(チェーリング)が私の世代では全盛期の遊び道具でした。
 本が出版された70年代後半にはすでにメンコ遊びは廃れていましたので、皿海の時代設定はかなり苦しい(例えば、主人公の愛メンコはヤマウチ(50年代、60年代前半に活躍したシュート打ちの名人だったプロ野球選手の山内一弘のことです)。こうしてみると、彼の全盛期はメンコがはやった時代にぴったり重なるので、私などにはすごく説得力があります)のですが、1970年に引退していたので阪神のコーチ(これは時代的に正しいです)だと主人公に説明させているのですが、彼の熱意は十分に当時の読者には伝わっていたでしょうか。
 もうひとつの題材のレウエンフークは、作品では顕微鏡の発明者となっていますが、正しくは顕微鏡で微生物を発見した人物です(顕微鏡の発明者はオランダのヤンセン父子です)。
 しかし、この作品の歴史的価値は、そういった細かい事実の正確さとか、時代設定の正しさにあるのではなく、皿海という作者(大人)が同時代の子どもの立場に降りてきて(大人目線で見下ろすのではなく)、その姿を描こうとしたことなのです。
 そこには、六十年代の「現代児童文学」が標榜していた「変革の意志」(社会の変革や個人の成長)といった「大きな物語」ではなく、一人ひとりの子どもの論理に寄り添った形で「小さな物語」を展開(一見関係のない、メンコの世界と顕微鏡の見せる微生物の世界の間を、いかにも子どもらしい発想で自然につないでいます)しているところに、70年代(特に後半)の児童文学の新しい傾向が表れています。
 しかし、それにしても、エンターテインメントでもなく、特に社会的なテーマもない、しかも小学校高学年の男の子(創作児童文学をぜんぜん読まないので、二十年以上前に出版社にターゲットの読者対象から外されています)の世界を描いたこのような作品が本になるなんて、まさに隔世の感があります。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
クリエーター情報なし
偕成社

 
コメント
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