東京の多摩地区と思われる地域を舞台にして、五年三組の子どもたちと担任の教師などの群像を描いています。
作品には明確な主人公はいなくて、父を地下鉄工事現場で亡くして片親になっているしっかり者の咲子、その母親で美容院をしているマーちゃん、クラスのボス的存在で親分と呼ばれている鉄二、パンタロンをはいてギターをかかえて学校へやってくる新卒のとも子先生、ちょっと気が弱いけれど人のいい完太、問題児で不良がかっていると描かれているデンゾーと、次々に視点を変えて彼らの生活を多面的に描こうとしています。
メインとなる事件は、鉄二とクラスでの対抗勢力であるデンゾーとのかけベーゴマ(ひと勝負5円とか10円をかけています。文中でホンコという用語も使われていますが、本来のホンコは勝った時に相手のベーゴマを取ることなので、かけベーゴマとは異なるものです)をめぐる対立です。
かけベーゴマでは最終的に鉄二が260円勝ったのに、逆にデンゾーから500円のショバ代を要求され、さらに割ってぎざぎざにしたコーラ瓶で脅されます。
この件に腹を立てた鉄二がデンゾーをクラスの中で仲間外れにしようとしますが、逆にデンゾーとその子分たちにつかまって軽いリンチを受けてしまいます(両手を子分たちに押さえつけられ、デンゾーに軽くビンタされてポケットに入れていたベーゴマを奪われます)。
クラスのみんなの前で屈辱的なリンチを受けた鉄二は、ショックのために学校をさぼり、そのことでこの事件が学級全体の問題に発展します。
正義感の強い学級委員の多聞が中心になって、子どもたちは学級会で問題解決をはかろうとします。
ラストシーンでは、担任のとも子先生が、鉄二とデンゾーにベーゴマ大会でみんなに指導させることを提案することで話をまとめようとしています。
一読して、大正時代のプロレタリア児童文学の作品を読んでいるような既視感を覚えました。
誤解を招かないように説明しておきますが、私はそれまで中産階級以上の子どもたちだけを対象としていた既成の児童文学に対して、初めて労働者階級の子どもたちのためにその姿を描いたプロレタリア児童文学(しかも権力側の弾圧の中で)に歴史的な意義を認める立場にあります。
しかし、同じような印象を受ける作品を1973年出版(出版年度については異論があるので後で詳述します)の本に書くのは、少々時代錯誤な感じがします。
また、担任のとも子先生が歌声サークル出身で、歌声運動の歌をみんなで歌うシーンが頻出するとなると、民青(日本民主青年同盟、日本共産党の青年組織)か、日本共産党のプロパガンダ的な作品と受け取られてもやむを得ないかなという気もします(出版社も日本共産党系の新日本出版社です)。
とも子先生以外の教員たち(校長などの管理職も含めて)の描き方についても、疑問があります。
とも子先生のような新卒教員は、1973年当時は日教組の猛烈なオルグ活動にさらされるのが一般的だったと思います(そのころでも、日教組の組織率は50パーセント以上でした)。
こういった組合問題や校長などの学校管理の問題にぜんぜんふれないのは、学校を舞台に、しかも子どもたちだけでなく教師の視点も使って描いた作品としては、不自然な気がしました。
日教組の主流派は作者と立場が違う日本社会党系でしたから、あえて組合問題に触れないのでしょう。
でも、それであったら、作品の中で組合活動を批判的に描いても構わないのです。
しかし、それには全く触れずに、学校教育の問題を個々の教員の個人的な資質の問題に還元して描き、校長などの管理体制にも無批判なのは気になりました。
この作品では、組合活動や校長たち管理体制への批判の代わりに、民主的な学級運営の象徴として学級会がかなりの枚数を使って描かれています。
しかし、これも子どもたちを恣意的に役割分担させて描いていて、教条主義的な印象を受けました。
子どもたちの問題を学級会で解決を図ろうとする姿をもっと自然に描いた作品には、斉藤栄美の「教室」(1999年出版、翌年の課題図書に選ばれています)があります。
「教室」の学級会では、子どもたちはもっと生身の言葉をぶつけ合い、担任の教師も攻撃にさらされます。
だからこそ、子どもたちは、そして教師も、お互いにわかり合うきっかけになるのでないでしょうか(「教室」では安易な解決は提示されません)
それに比較すると、「歌はみんなでうたう歌」は、学級会がいかにも大団円的に描かれていて、子どもたちの言葉が読者の心に響いてきません。
最後に、発行年度と同時代性について述べます。
奥付の上部には「新日本出版社 1973」と書かれているのですが、なぜか「1971年5月30日第一刷発行」とも書かれています。
そのため、作者の作品リストには混乱が見られます。
「日本児童文学2011年1・2月号追悼 後藤竜二」の作品リストでは、1971年5月になっていますが、「思いをことばに 後藤竜二さんの言葉を伝える会」の作品リストでは1973年になっています。
私は後者が正しいと思っています。
なぜなら、作品中に鉄二が山本リンダの「どうにもとまらない」を口ずさむシーンがあるのですが、この歌は1972年6月のリリースだからです。
出版年度にこだわったのは、当時の作者の作品が同時代性に固執していて、その当時の最新の風俗をわざと作品に取り入れているからです。
それは、作者が発表時の子どもたちと同じ時代に生きているんだという共感を示すために意識的に行っていることだと、私は好意的にとらえています。
しかし、この作品ではその同時代性についてもやや違和感があります。
描かれている子どもたちの風俗が、1973年としては古すぎる感じがします。
まず、重要なアイテムとして描かれているベーゴマです。
私は1964年にこの作品が描かれている子どもたちと同じ五年生でしたが、その当時でもベーゴマは子どもの遊び道具の主力アイテムの座を、少なくとも私の住んでいた東京の下町では失いかけていました。
この作品には出てきませんが、ビー玉も同様で私より年長の子どもたちの遊び道具でした。
代わりに、私たちの世代ではチェーリング(わっかとも呼ばれていて、カラフルなプラスチックのリングで、ベーゴマと同様にホンコの場合は勝った負けたでやり取りされていました)が全盛でした。
私たちの世代では、メンコはまだ生き残っていましたが、それも次第に廃れていきました。
特に、ラストシーンのとも子先生の、学校でのベーゴマ大会の提案にはしらけてしまいます。
ホンコやかけで一度でもこういった勝負をしたことのある子どもたちならば、ウソンコ(勝っても負けてもベーゴマやお金を実際にやり取りしない)の勝負などまったく面白くなくやる気がでないことを、後藤は知らないようです。
後藤は学生時代にけっこうかけマージャンをやったようなので、金をかけないマージャンほどつまらないものはないことは良く知っているはずです。
なぜ子どもは違うと考えてしまうのか、大きな疑問です。
この作者もまた、古い童心主義の名残りを引きずっていたのでしょうか。
そういえば、後藤のデビュー作の「天使で大地はいっぱいだ」というタイトルも、よく考えてみるとかなり恥ずかしい感じですが。
また、路地でのゴムボールでの野球のシーンも出てきますが、私の世代では良く行われていましたが、1970年代に入るとやっている子どもたちはほとんど見かけなくなりました。
いわゆるガキ大将的なクラスのボスの存在も、私たちの世代ではまだかろうじて生き残っていましたが、70年代の子ども像としては疑問です。
もちろん子どもたちの風俗史には地域差があるでしょうが、全体的な印象では十年ぐらい古い風俗のように思われます。
どうもこの作品で描かれた子どもたちは、実際に取材されたものではなく、作者の少年時代の体験や人や本などから得た知識に頼って描かれたような気がしてなりません。
そういう意味でも、作者が1960年代半ばの学生時代に書いていたと思われる左翼よりの観念的な児童文学の名残りが、この作品には強く感じられます。
そのような書き方を全面的に否定するものではありませんが、一方で作者が「同時代性」にこだわっているようなので、きちんと取材してもっと徹底してもらいたかったと思いました。