1979年に書かれた論文で、その二十年前に出発した「現代児童文学」が戦前の「赤い鳥」童話などと同様に、時代の典型となる子ども像(例えば、マーク・トウェインのトム・ソーヤーやエーリヒ・ケストナーのエーミール・ティッシュバインやアーサー・ランサムのナンシー・ブランケット)を生み出しえなかったとしています。
その一方で、同時期に海外ではカニグズバーグのクローディア・キンケイドのような新しい時代の典型的な子ども像が生み出されているとし、その理由を日本の風土に求めています。
また、主題とそれるのですが、日本の戦争児童文学では被害者意識が先行して、ドイツの「あのころはフリードリヒはいた」などのような加害者意識も含めた視点に欠けていると批判しています。
これらの批判は、日本の「現代児童文学」の欠点を的確にとらえています。
さて、この論文が書かれてからすでに四十年がたちました。
はたして、その後も日本の児童文学で、その時代の典型的な子ども像を描き出した作品が生まれたかというと、はなはだ疑問です。
その間に、ズッコケシリーズ、バッテリーシリーズ、守り人シリーズなどのベストセラーは次々と生まれました。
でも、これがその時代の子どもの典型像だとういう登場人物は、いまだに現れまていません。
むしろ、これらのエンターテインメント系の作品が児童文学の主流になることで、登場人物は漫画的な平面的なキャラクター(一部の特性をデフォルメしたキャラクター)になっていって、ますます現実の子どもを立体的に捉えた人物像は生まれにくくなっているようです。
この論文の著者の古田足日先生は、2014年にお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
その一方で、同時期に海外ではカニグズバーグのクローディア・キンケイドのような新しい時代の典型的な子ども像が生み出されているとし、その理由を日本の風土に求めています。
また、主題とそれるのですが、日本の戦争児童文学では被害者意識が先行して、ドイツの「あのころはフリードリヒはいた」などのような加害者意識も含めた視点に欠けていると批判しています。
これらの批判は、日本の「現代児童文学」の欠点を的確にとらえています。
さて、この論文が書かれてからすでに四十年がたちました。
はたして、その後も日本の児童文学で、その時代の典型的な子ども像を描き出した作品が生まれたかというと、はなはだ疑問です。
その間に、ズッコケシリーズ、バッテリーシリーズ、守り人シリーズなどのベストセラーは次々と生まれました。
でも、これがその時代の子どもの典型像だとういう登場人物は、いまだに現れまていません。
むしろ、これらのエンターテインメント系の作品が児童文学の主流になることで、登場人物は漫画的な平面的なキャラクター(一部の特性をデフォルメしたキャラクター)になっていって、ますます現実の子どもを立体的に捉えた人物像は生まれにくくなっているようです。
この論文の著者の古田足日先生は、2014年にお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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