主人公のぼくは小学校六年生です。
放課後に、友だちと六人で原っぱで楽しく草野球をやっています。
ある日、ホームランをかっとばした野口くんの打球が、他の本と一緒に捨ててあった「野口英世」の伝記に命中します。
その本を読んだ野口くんは、草野球をやめて一生懸命勉強をして野口英世のような医者になると言いだします。
野口くんの草野球仲間を抜ける意思がかたい事を知って、おとうさんがいなくて貧しく自分の部屋を持っていない野口くんのために、ぼくたちは材料を持ち寄って野口くんの家の縁側に手作りの勉強部屋を作ります。
その後、野口くんが抜けてもぼくたちの草野球は楽しく続きます。
茂くんが、当時のアイドルグループのキャンディーズのセンターをやっていた伊藤蘭に似ているためランちゃんと呼ばれている、水島加代子さんを連れてきたからです。
初めは応援しているだけだったランちゃんが、それまで一塁ベースだった電柱の代わりになります。
そのため、みんなはますます草野球に夢中になります。
なにしろ、みんなはヒットを打つたびにランちゃんにタッチできるからです。
しかし、ぼくは、ランちゃんの表情や態度が茂くんの時だけ違うことに気が付いてしまいます。
ランちゃんは、茂くんだけを目当てに草野球に参加していたのです。
ぼくには、楽しかった草野球が急に色あせて見えます。
そうこうしているうちに、茂くんも塾へ通うことを口実に(実はランちゃんと同じスイミング・スクールに入ったのです)、草野球の仲間から抜けます。
その後も、次々に塾へ入るものが続いて、草野球仲間が減っていきます。
ある日、ぼくは、野口くんの家が本格的な改築をはじめて、ぼくたちが作った「野口くんの勉強部屋」が取り壊されることに気がつきます。
野口くんが一所懸命勉強をするのを見て、おかあさんも応援する覚悟を決めたのでしょう。
その時、野口くんのホームランが野口英世の伝記にあたってそれで野口くんが勉強を始めたのは偶然ではなく、野口くん、そしてほかの仲間たちがあの楽しい草野球をやめる日が来たのは時の必然だったことに気がつきます。
そして、ぼくも草野球をやめて、塾へ入りました。
他の記事にも書きましたが、1984年の初めに日本文学者協会の合宿研究会に参加するために、私は1980年代初頭の現代日本児童文学を数十冊集中的に読んだことがありました。
その中で一番衝撃を受けたのは那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)で、一番好きだったのはこの「野口くんの勉強部屋」(1981年4月1刷)でした。
少年時代にサヨナラをする日を、これほど鮮やかに描いた日本児童文学を、私はそれまで知りませんでした(外国の作品では、ミルンの「プー横丁にたった家」やモルナールの「パール街の少年たち」のラストシーンが思い出されます)。
私自身も、その後同じテーマでいくつかの短編を書きましたが、はたして「野口くんの勉強部屋」を超えられたかどうか、今でも確信は持てません。
野口くんの勉強べや (偕成社の創作) | |
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偕成社 |