現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ジャージー・ボーイズ

2016-09-12 06:26:57 | 映画
 1960年代に圧倒的な人気を誇ったポップス・グループ、フォー・シーズンズの歴史を描いたミュージカルの映画化です。
 ドキュメンタリー・タッチの部分とミュージカル仕立ての部分を巧みにつないだ、監督のクリント・イーストウッドの手腕はさすがのものがあります。
 映画は1990年にオリジナル・メンバーがロックの殿堂入りをするシーンで終わるのですが、彼らの音楽をロックと呼ぶのにはやや違和感があります。
 現在のロックは、アメリカのロックン・ロールに影響を受けたイギリスのリヴァプール(ビートルズなど)やロンドン(ローリングストーンズなど)によって1960年前後に生み出され、その後アメリカに逆輸入されたとの説が有力で、フォー・シーズンズの音楽はそれらとは別系統で創造されていて、やはりポップス・グループやヴォーカル・グループ(フォー・シーズンズの場合は、リード・ヴォーカルのフランキー・ヴァリのファルセット・ヴォイスが圧倒的な魅力を持っています)と呼ぶ方がしっくりきます。
 マーケティングの視点で考えると、このミュージカルや映画がアメリカでヒットした理由は、第二次大戦後のベビーブームの世代(ベビーブーマーと呼ばれていて、現在60代後半の人口多数派)、特に白人のノスタルジー(古き佳きアメリカ)をうまくかきたてているからでしょう。
 日本でも彼らの同世代である団塊の世代(同様に人口多数派で、シニア割引も受けられるので最近の映画館でも多数派)にうけているようで、館内ではそのぐらいの年配のカップルがたくさんいました。
 私自身は彼らよりやや後の1954年生まれでフォー・シーズンズはリアルタイムではあまり聴いていませんが、彼らの代表曲である「シェリー」や「君の瞳に恋してる」などは、ポップスのスタンダード・ナンバーとして十代のころから親しんでいましたので、この映画の演奏シーンも十分に楽しめました。
 ちなみに、この映画は有楽町の丸の内ピカデリーで観たのですが、こういった音楽映画は音響効果の高い二階席もあるような大箱の映画館がふさわしいようです。

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック
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ワーナーミュージック・ジャパン
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坂口安吾「堕落論」

2016-09-12 06:00:36 | 参考文献
 キンドル(その記事を参照してください)で読むことができたので、何十年間かぶりに読んでみました。
 安吾は、戦争直後の従来の価値観が崩壊した時に、世相を考察してこの文章を書きました。
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きて堕ちよ、その正当な手順の外に、真の人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか」と、安吾は語りました。
 現在の日本も、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災や福島第一原発事故を経て、従来の価値観の崩壊の時期を迎えています。
 1950年代にスタートした狭義の「現代日本児童文学」も2010年には完全に終焉(その記事を参照してください)を迎え(児童文学研究者の佐藤宗子は、その象徴として、後藤竜二の死、理論社の倒産、大阪国際児童文学館の閉館などをあげています)、児童文学においても新しい創作理論や批評理論が必要になっています。
 そのためには、安吾がこの文章で書いたように堕ちるところまで堕ちて、まったく生まれ変わるつもりでスタートしなければならないと思います。

 
堕落論 (新潮文庫)
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新潮社

 
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絵本に見られるパターン

2016-09-11 14:22:22 | 考察
 絵本によく見られるパターンとして、小さな主人公が一人でどこかへ出かける作品群があります。
 各見開きページにおいては、子どもたちが大好きな繰り返しの手法を使って、いろいろな状況が描かれます。
 それらの状況において、主人公がいかに困難を乗り越えていくかが読者は面白いのです。
 これは、筒井頼子の絵本の「はじめてのおつかい」(その記事を参照してください)、さらにさかのぼればグリム童話の「赤ずきんちゃん」以来のお馴染みのパターンです。
 このパターンにおいては、読者にいかに次のページをめくらせるかが、作者の腕の見せ所です。

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
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福音館書店
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谷本誠剛「序章 児童文学とは何なのか」英米児童文学ガイド所収

2016-09-11 09:57:31 | 参考文献
日本イギリス児童文学学会というよく考えると奇妙な名前の学会がまとめた、英米児童文学の作品論と研究論文をまとめた本の、「啓蒙」と「想像力」という副題を持った序章です。
日本人がなぜ英米児童文学を研究するのかについて、以下の様な章立てで簡単に述べています。
1.児童文学とは何なのか
2.児童文学における子どもと大人
3.児童文学はメディアなのか作品なのか
4.なぜ英米児童文学なのか
5.作品論の書き方
6.さまざまなテーマとジャンル論への広がり
1から3までは、児童文学を論じる上ではいつも問題になる点であり、書いてあることには特に目新しい点はありません。
4が、英米児童文学の研究者ならではの視点なので興味を持って読んだのですが、「イギリス児童文学が児童文学の王国」であるということ以外に、特に明確な論理がないことに失望しました。
5では、唐突に初学者のための作品論の書き方が述べられ、6では卒業論文や修士論文などのテーマ選択の方法が述べられています。
 全体的に、読者対象が英米児童文学を専攻する学生や大学院生に限られているようで、非常に内向きな文章(つまりはこの本全体もそのような視点でまとめられている)に感じられました。
 推測するに、この学会の研究者たちは幼少期に英米児童文学に親しみ、その魅力を探ろうとする関心から研究の世界へ入ったのでしょう。
 きっかけはそれでいいとしても、少なくとも学会全体としては、もっと社会に開かれた視点(例えば、英米児童文学を研究することによって、その成果をどのように現代の日本社会や日本の子どもたちに還元できるかや世界の子どもたちの現実にどう関わっていくかなど)を持たないと、この学会も自閉的な活動に陥り、じり貧になっていく恐れがあるのではないでしょうか。

英米児童文学ガイド―作品と理論
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研究社出版
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椎名誠「活字のサーカス」

2016-09-09 11:08:31 | 参考文献
 「面白本大追跡」という副題のついた本の紹介本です。
 「本の雑誌」の編集長を長年務めただけに、なかなか興味深い本が選ばれています。
 一方で、世界各地を訪問してそのルポを書いたりテレビ番組を作ったりするのも彼の仕事なので、探検記関係の本が多いのですが、中には絵本などもあり、何を読もうかなと思ったりするときのかっこうのブックリストになっています。
 作者特有の与太話は読み飛ばして、出てきた本をかたっぱしからアマゾンや図書館で検索して予約すると、なんだか得した気分になれます。

活字のサーカス―面白本大追跡 (岩波新書)
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岩波書店
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超高速!参勤交代

2016-09-08 22:25:38 | 映画
 ヒットして続編もできた娯楽時代劇です。
 時代考証も殺陣もいい加減ですし、せりふ回しは現代劇そのものなのですが、気楽に楽しめる作品になっています。
 かつて少年漫画誌で人気のあった「伊賀の影丸」や「仮面の忍者赤影」などの忍者マンガの実写版に似た味わいがあって、子どもたちにも楽しめます。
 さらに、人気女優やジャニーズ事務所のアイドルなどをキャスティングしているので、興業的にも手堅い仕上がりです。

超高速!参勤交代
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メーカー情報なし
 
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松田青子「わたしはお医者さま?」英子の森所収

2016-09-08 09:29:30 | 参考文献
 暗闇の中で「職業当てゲーム」をする人たちの話です。
 そのゲーム自体はつまらないのですが、「仮想のなりたい職業」が出るようになってから面白くなりました。
 特に、「ペンギンナデ」と「ムシノオシラセ」はなかなか傑作です。
 ただ、ラストが常套的でがっかりしました。

英子の森
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河出書房新社
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松浦梨英子「変態月」奇貨所収

2016-09-07 16:52:52 | 参考文献
 「すばる」1985年9月号に発表された作品です。
 なぜ四十年近く前に発表した作品を、2012年に発表した「奇貨」と一緒にして本にしたのでしょうか?
 読んだ人すべてが疑問に思うでしょう。
 勝手な推測ですが、この作品には少女時代に松浦が変態(性的な意味ではなく変身したという意味です)した月のことを書いているので、「奇貨」の作品世界の萌芽(この作品の時代設定は1984年ですが、松浦は1958年生まれなので実際にはそれよりも十年ほど前のことだったのでしょう)が現れています。
 それは、「小説を書くこと」、「性愛(同性愛も含めて)を探求すること」の二点でしょう。
 この作品には、高校生や中学生の少女たちの世界が描かれています。
 さすがに毒が強すぎ、ヤングアダルト向け作品とは言えませんが、この年代の少女特有の世界観がうまく描けているので、好きになる同世代の読者もいるかもしれません。

奇貨
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新潮社
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黒川博行「迅雷」

2016-09-06 17:48:35 | 参考文献
 一応カタギの三人組が、身代金目当てに極道の組長を誘拐するという破天荒な設定のエンターテインメントです。
 2014年上半期の直木賞を受賞した「破門」が含まれる「疫病神」シリーズが始まる直前に書かれた作品で、カタギと極道のからみという点では、「疫病神」シリーズを書く上でヒントになったかもしれません。
 弱いカタギが知恵を絞って、人数でも暴力でも圧倒的に強い極道と渡り合うので、読者にカタルシスを与えます。
 弱者が強者を倒すというパターンは、児童文学の世界でも普遍的な魅力を持っていて書き続けられています。
 ただ、この作品ではカタギ側も100パーセント犯罪者なので、すっきりしない部分は残りました。

迅雷 (文春文庫)
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文藝春秋
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黒川博行「螻蛄」

2016-09-05 11:36:27 | 参考文献
 五作目の「破門」で2014年上半期の直木賞を受賞した「疫病神(その記事を参照してください)」シリーズの第四作です。
 カタギの主人公と極道の相棒が、掛け合い漫才のようにして暴れまわる作品の、今回の舞台は東京です。
 シリーズ物はどれもマンネリしてくるものですが、このシリーズは構造的な欠陥を持っているので、特に厳しいようです。
 このシリーズは、17年間に5作書かれているのですが、作品内の世界では、一作ごとに一年ぐらいしかたっていません。
 そのため、作品世界と作者が書いている実時間がだんだんかい離れていき、四作目のこの作品ではそれがかなり顕著になっています。
 一方で、このシリーズは時間が先に進まない遍歴物語でなく、一作で登場人物が一歳ずつ年を取っていく成長物語なわけで、そのあたりの矛盾(特に若い登場人物において)が出てきています。
 児童文学の世界でもシリーズ物はたくさん書かれていますが、遍歴物語(例えば那須正幹の「ズッコケ」シリーズなど)や成長物語(松谷みよ子の「ちいさいモモちゃん」シリーズなど)の間で作者たちは試行錯誤しています。

螻蛄(けら)―シリーズ疫病神 (新潮文庫)
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新潮社
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辻原登「天気」父、断章所収

2016-09-04 09:43:41 | 参考文献
 作者の分身とも思える作家が、講演で郷里を訪ねます。
 そこで、かつて父の愛人だった人に会い、今は荒れ果てた生家を訪ねて、自分が生まれた直後の若くまだ愛人のことでいさかいを起こす前の両親の幻想を見ます。
 これもまた、センチメンタル・ジャーニーとでもいえるような作品で、いつもの辻原とは違ってかなりウェットな作品になっています。
 講演に遅刻しそうになったり、野口富士男の作品とからめたり、昔の殿様の末裔と面談したり、読者を楽しませる工夫はいろいろとなされていますが、ベースは自分自身の両親への感傷的な思いでしょう。
 ただ、辻原にとって、郷里(和歌山県新宮)がいかに影響力を持った存在なのかがわかります。
 児童文学でも、後藤竜二の北海道のように郷里にねざした作品を書く作家もいましたが、その伝統は最近ではすっかり薄れてしまっています。

父、断章
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新潮社
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中脇初枝「うそつき」きみはいい子所収

2016-09-03 08:26:00 | 作品論
 これもまた、ネグレクトあるいは虐待(あくまでも主人公である土地家屋調査士の男の推定にすぎないのですが)されている子どもの話です。
 率直に言って、読んでいて気分がムカムカして、本を壁に投げつけたくなりました(図書館で借りた本なのでもちろんできませんが、自分の本だったらそれでも気分が収まらずに、足で踏みにじっているかもしれません)。
 作者の書き方が、驚くほど偏見に満ちているからです。
 問題のある児童は、その家庭に何らかの欠損があると、作者は決めつけています。
 学級崩壊も、学校側や教師たちにはまったく責任はなく、問題児童やその親たちが原因であると断定しています。
 そして、学校、PTA、父母会、自治会、消防団という旧来の組織に対してはまるで無批判で、そういったものの「権力」が失われてきたから現代の様々な問題が起きていると主張しています。
 シンデレラや白雪姫を引き合いに出して、継母は必ず義理の子どもをいじめるという、まるで大昔の「母物」映画のような論理を振りかざしています。
 また、現在の経済環境など一切無視して、専業主婦を手放しで賛美しています。 
 こども110番の家を引き受け、自治会の役員を三回、子供会の会長を二回、幼稚園では父母会の会長、小学校ではPTA会長を四年続けている、よその家庭までなんでも見通せ、よその子どもの面倒も見て、子どものころは黒人とのハーフだった子(ご丁寧にアメリカに帰国してイラク戦争で戦死しているという設定になっています)と偏見にも負けずに親友だった「神のような」主人公の、何事にも達観したような上から目線がたまらなく嫌です。
 他にも、ネグレクトされているとしている子が住んでいる場所など、全くのご都合主義な設定があって指摘したい点はたくさんあるのですが、きりがないのでこのへんでやめにしておきます。
 どうしてこんな反動的で懐古趣味に満ちた話を出版する会社があるのかなと思ったら、例のタレントに賞をとらせて大儲けした出版社でした。
 また、この本が大人の女性の読者にうけているのは、彼女たちのジェンダー観の変化(自立した女性から専業主婦への回帰)が背景にあるのでしょう。
 しかし、そういったオールド・スキム(古い仕組み)を若い女性たちが志向するのならば、現在の非婚化や少子化の問題は解決しないでしょう。
 なぜならば、そういった女性のドリームを実現するような経済力のある男性は、非正規雇用が進んだ現代では少数派になっているからです。

きみはいい子 (一般書)
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ポプラ社
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森忠明「あしたのぼくらはだれだろう」

2016-09-01 16:18:30 | 作品論
 ぼうのぼりができなくてすぐにあきらめてしまう森少年は、あきらめっくす1号というあだ名をつけられてしまいます。
 同じようにぼうのぼりができないまみやくんは、あきらめっくす2号と呼ばれています。
 だめなもの同士の二人は、それをきっかけに仲良くなります。
 森少年は、四年生のおねえちゃんにぼうのぼりの特訓を受けます。
 担任の先生も、おねえちゃんも、ぼうのぼりをてっぺんまで登れば富士山が見える(本当は嘘なのですが)と言って、森少年を励まします。
 森少年がぼうのぼりをがんばる一年間には、遠足、運動会、おとうさんからもらった千円札の紛失、おねえちゃんの交通事故、引っ越していくまみやくんとの別れなどさまざまなことがおこります。
 森少年は、最後までぼうのぼりをてっぺんまでのぼることはできませんでしたが、いろいろな事件を通して成長していきます。
 1975年1月初版ですから、児童文学としては森忠明の処女作ということになります。
 低学年向けということもあり、ここには「君はサヨナラ族か」、「花をくわえてどこへいく」などで描いたアイデンティティの喪失は書かれていません。
 むしろ、あきらめっくす1号のようなだめな子どもたちへの励ましが、後の彼の作品を知る者には驚くほど熱っぽく書かれています。
 言ってみれば、「現代児童文学」の王道の成長物語といえるでしょう。
 森忠明は、この作品のあとがきでこのように語っています。
「その昔、ぼくは、あきらめっくす1号よりも、すくいがたい子でした。何をやっても人並のレベルに達せず、女の子には迫害されやすく、さんたんたる日々でした。以来、ぼくにとっての学校は、恥と無念の目録をふやすための場でした。
 でも、やはりぼくは、小学初級、人生芽ぐみのときを、「よかりし時代」としてふりかえってしまいます。それは木のぼりや川あそびができた最後の世代の郷愁としてではなく、ダメな子なりに、さまざまな経験を、素手で世界化しようとしていた時の必死さを、にんげんの生命力のマスター・キイだと思うからです。
 そして、その原初的で健気な熱情を、真に理解し、はげまし、伸張させることが、昨今の諸状況悪化の中で、たやすく淘汰されない子を育てるための基本の手だてだと思います。
 この、あきらめっくす1号の、試行と力行のものがたりが、現代の幼ごころに、あたらしい元気をそそぎこむ、ささやかな手だてのひとつになれたら、とてもうれしいのですが。(後略)」
 まだ二十代半ばだった作者の、児童文学に対する若々しい意気込みが伝わってきます。
 この作品では、低学年向けとしてはエピソードを詰め込みすぎている、登場人物が多すぎて混乱するなど、完成度もその後の森忠明の作品と比べると不十分なところがあります。
 しかし、異常なほどの幼少時の記憶力による生き生きとしたディテール、だめな弟としっかりものの姉、大事なものとの別れ、弱者への温かい視線など、その後の森作品にとって大事なモチーフが、たくさん含まれています。
「処女作には、その作者が書きたいことがすべて含まれている」とよく言われますが、この作品もその後の森作品のスタートにふさわしいものだったのかもしれません。

その日が来る (国土社の新創作童話)
クリエーター情報なし
国土社


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