『「高天神城」を制するものは遠州を制する』と謳われ、標高132mの鶴翁山を中心に、放射状にのびるいくつかの尾根を巧みに使った山城で、守るに守りやすい・攻めるに攻めにくい『難攻不落の名城』と呼ばれていた。
北側入り口から長い石段が上まで続き、それを登っただけで「息切れ」状態に・・・。一通り観終わった頃には汗をかき、足が筋肉痛の一歩手前のような感じになり、今までで一番「キツイ」城巡りであった。
北側入り口から長い石段が上まで続き、それを登っただけで「息切れ」状態に・・・。一通り観終わった頃には汗をかき、足が筋肉痛の一歩手前のような感じになり、今までで一番「キツイ」城巡りであった。
「城巡り」を始めて1年4ヶ月、初めて『遠江(とおとうみ)』に遠征してきた。仕事絡みの為、「浜松IC」まで行ってからの攻略となり、6時過ぎに家を出発したので、時間に追われるハードな計画となった。
遠州制覇に夢を賭けた「徳川家康」が、「武田勝頼」によって奪われた『高天神城』を、奪還する為の足場として作られた城である。山城と平城を合わせ持っているので、「平山城」と言われ、両方の特徴を兼ね備えている上に、近世的な様式も取り入れて、二重の城郭を持っていたそうだ。
『桜』の木が植樹されていたが、あの有名な「高遠城」みたいに乱雑ではなく、計画的に植えられていたので、数年後が楽しみな城跡である。(2000年に植えられたのでまだ小さいから10年ぐらいかかるかも?)
遠州制覇に夢を賭けた「徳川家康」が、「武田勝頼」によって奪われた『高天神城』を、奪還する為の足場として作られた城である。山城と平城を合わせ持っているので、「平山城」と言われ、両方の特徴を兼ね備えている上に、近世的な様式も取り入れて、二重の城郭を持っていたそうだ。
『桜』の木が植樹されていたが、あの有名な「高遠城」みたいに乱雑ではなく、計画的に植えられていたので、数年後が楽しみな城跡である。(2000年に植えられたのでまだ小さいから10年ぐらいかかるかも?)