社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

わかりやすく伝える努力

2014年10月02日 19時50分58秒 | 教育者としてのつぶやき
なかなか更新ができなくてすみません。

現在、同人活動を始め、一ヶ月に一回、歴史のお勉強についての漫画を作成していますが、授業や文字でわかりやすく説明する方法とは違った難しさを感じております。

しゃべるとあっという間の内容も文字にすると長いことがあります。
さらに最初から文字だけの文章だと思って読むとそんなに長く感じられない言葉が、漫画だと長く感じられ、読む気になれないレベルになることもあります。

なので、授業では問題なく生徒さんたちに伝えられた内容が、マンガでは困難なんだ、と。
逆に、マンガだと絵の力を借りてわかりやすくできる部分があります。ライブ授業では説明しずらい部分がマンガでは楽、ということも。


私は、漫画の描き方については勉強を始めたばかりで、画力もつたないだけでなく構成力も構図もまだまだです。

塾講師として授業を始めた時も、多くの生徒さんに「わかりやすい」「面白い」と言ってもらえるようになったのは、四年目あたりからです。一年目は、言いたいことをうまく伝えられなかったり、生徒さんの求めていることと私の伝えたいことにズレがあったりして、うまくいきませんでした。

何度も失敗しながら、自分なりの授業を築き上げてきました。一年目に私にあたってしまった生徒さんには申し訳ないですが…。


マンガ作成は一年目と同様なので、今は失敗の連続で、試行錯誤しながら自分の漫画の形を作り上げていく時期だと思います。
かなり、恥ずかしい出来のマンガにはなっていますが、あきらめずに描き続けていきたいです。


私の悪口を言っていた先生を思い出して・・

2013年11月02日 10時05分50秒 | 教育者としてのつぶやき

 なかなか更新できず失礼いたしました。

東京旅行から帰ってきてから、風邪がなかなか治らず、そうこうしているうちに洗濯機が壊れ

コインランドリーに通っていたところに娘がまた風邪ひいて、それが私にうつって、また私も風邪をひいて・・、と

大きな大変さはなかったですが、細かいことでいろいろ大変でした。

 

今回の風邪は、娘はすぐに治ったのですが、うつった方の私は2か月ほど咳がとまりませんでした。

百日咳やマイコプラズマ肺炎なども疑ったのですが、どうもそうではなく、

ただ単に、一番弱い喉がやられただけのようです。

 

私は、一番喉が弱いみたいで、5年に1度くらい、風邪の延長で声が出なくなることがあります。

幸い今回はそこに行きつく前に治りましたが。

 

声が出なくなったのは今までで2回。

 

1回目は高校2年生の春。

春休みに風邪をひいて、高2の始業式のときには声が枯れ、ほとんど声が出ませんでした。

そのため、最初新しいクラスでの友達つくりは苦労した覚えが・・。(でも、そのあとで仲よくしてくれる子がいて助かった。ありがとうね。)

 

2回目は社会人3年目の塾講師時代。

風邪は完治して生徒にはうつす恐れはなかったのですが、声がほとんどでなくなってしまいました。

 一生懸命出した声でも声がれし小さい声。

 

でも、当時の私は仕事を休むわけにいきませんでした。

一番は生徒さんのため。私なんかよりも優秀な先生はたくさんいましたが、

私の授業に慣れた生徒が違う先生に突然かわると、その先生に慣れるまで時間がかかる。

ましてや受験生だとペースが崩れ、それだけで受験期に影響が出る。

 

・・・だから、たとえ、声があまりでなくても、感染のおそれがないのならば授業は続けよう!と。

 

もう1つは、アンケートで自分を上位に入れたい、ある先生が、私がいないと、私の悪口を生徒に言う可能性が大だったから。

私がいても、彼の授業中に平気で私のあることないことの悪口を言ってたし、

私の前任の先生が倒れて入院している間にその人はその子の悪口も言ってたそうで・・。

先生同士での悪口ならまだしも、生徒に言う先生は最悪だけど・・、それが上司だから、私にはどうしようもない・・。

(先生同士での悪口を言う人も良くはないですが・・。)

だから、せめて私の監視付きでその上司を見張っていた方が安全である。

もしかして、わたしを誤解している生徒さんがいたとき、私がその場にいたら訂正できるから。

 

 

声が出ない事情を生徒さんに話したら、いつもはふざけている生徒さんたちも私をからかうことはなく授業を聞いてくれました。

なんて良い子たちなんでしょう!

声がでない分、黒板にマンガ絵に吹き出しをつけて説明したり、補助プリントもつくったりして、

なんとか授業を成立させました。

こういうときにマンガを描けるのは便利でした。(笑)

 

あのときに授業をしっかり聞いてくれた生徒さんに感謝です。

 

 

 

・・そういえば、私の悪口を言っていた上司のことを信じる生徒さんもいましたが、大半は、違っていたようです。

その上司は、えこひいきが激しい上に、気分によって怒ったり怒らなかったりしたので、彼を信用をしていない生徒もいました。

 

私は決して、ほかの先生の悪口は言いませんでした。それは、私のプライドです。

小5で、私のあることない悪口を言う同級生の言うことを信じた友人たちに裏切られ、いじめられた経験から、

決して根拠のない悪口、、ましてやその人の人生や性格を悪く言うことはしたくありません。

私はそのような人と同じ道に落ちたくありません!

 

悪口を絶対言わない、とは言えませんが、人を陥れるような、うその悪口は絶対に言わないよう努力してはいます・・・。

 

その私の姿勢を好き!と言ってくれる生徒さんもいてうれしかったです。

「先生は誰にでも公平だった!」と言ってくれる子もいました。

どの先生にも懐かない生徒と唯一会話できたのも私だった、ということもあります。

 

その分、ひいきをしてほしい生徒さん、自分中心でいたい生徒さんには、不評でしたが・・。

それで私のあることないことの悪口をほかの先生に言って、その先生にめちゃくちゃな説教をうけ、

それが長年続き、過労で入院してしまったこともありました。

 

でも、えこひいき、するくらいなら、私は悪口を言われる方をとる!

小学校で私をいじめた奴は、先生にえこひいきされている子たちが中心たちだった。

先生を後ろ盾に私をいじめた人間を、少しでも減らしたい!

それも私のプライドです。

 

他の目立つ生徒に埋もれてしまって自分に自信がなくなっている生徒さんを減らしたいです。

強烈で伸びる個性をほかの子やほかの先生に気付かれず、未来の可能性をつぶされてしまっている生徒さんを減らしたいです。

 

そういう思いで先生になりたいな、と思ったことを、今回の風邪で思い出しました。

 

 

 

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個性は潰してはいけない

2013年04月10日 23時38分39秒 | 教育者としてのつぶやき

なかなか更新できず,すみませんでした。

 

今年の春は,昔,受験指導をしていた元生徒さんたちが大学1年生になる年です。

 

もう,進学塾を辞めて6年経ったのだな~,とつくづく思いました。

あのころは,とにかく自分に自信がありませんでした

 

私は入社1・2年目のときの上司と,教育的価値観が全く違い,

その上司に自分のすべてを否定され続けました

教育方針だけならともかく,自分の性格,おいたち,趣味,などすべてを「ダメだ」と言われ,

毎日説教でした。

自分に自信がなくなり,それにより,また失敗し,またそれで自信がなくなり・・と。

 

何度もその塾を辞めたくてしょうがなく,よく泣いていました。

 

でも,すぐに辞めなかったのは,ひとえに,生徒さんのおかげでした。

 

入社1年目はともかく,2年目からは「先生の授業が好き!」とか「先生とお話するとホッとする」と

言ってくれる生徒さんがいて,

「上司からは認められなくても,この子たちのためにがんばろう!」と

歯をくいしばってがんばりました。

 

その塾を辞めて,その後,フリーで塾講師や家庭教師をしていくうちに,

あのとき,失われた自信と,自分らしい教育アプローチが戻ってきました。

 

6年経った今では,あの上司の言っていたことは,

「間違ってはいないけど,それが絶対ではない。彼の姿勢は,彼と同じ価値観でない人を潰すな。」

と思えてきました。

 

あの上司にとっては,

「トップレベルの私立中学に行き,理系の大学へ行く努力をする,常にまじめに頑張り,どんなひどい先生や子供に関心のない身勝手な親でも常に尊敬し,その人の言うことを聞く子」じゃないと,「良い人間」ではないのだな,と。

 

でも,そうじゃない子だってたくさんいて,その子たちも「良い人間」です。

というか,「良い人間」「悪い人間」と分ける方がおかしい。

 

だって,どんな人間でも,生きる権利があり,幸せになる権利があるでしょ!

 

先生は,子供の学力を伸ばすために厳しい姿勢をするのも大切だけど,

だからといって子供の個性を潰していいわけではないです。

 

だから,あの上司は,私にとっては,私の個性を潰した人で,それは教育者としてはどうかと・・。

 

この潰された個性を取り戻すのに,5年かかりました。

 

その塾を辞めて最初の3年は,「こんな指導したらいけないかもしれない」と常に怯え,

逃げの姿勢で授業や面談をしてしまっていました。

でも,だんだんと,だんだんと自分が正しいと思う指導方法をやり始めたら,

そちらの方が成功することが多くて,だんだんと自信を取り戻していきました。

 

今は,育児に専念中ですが,

娘の個性を潰さないようがんばります。

 

 

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人は変わる,を念頭に指導すること

2013年01月27日 00時15分35秒 | 教育者としてのつぶやき

 

塾講師は,長い間,同じ生徒さんを担当することがあります。

大概は,小4~小6,もしくは中1~中3の3年間ですが,

小3から高3まで,など長いおつきあいのときもあります。

 

何年かかけて,私が,同じ生徒さんを担当する際には

 

「人は変わることもできるし、変わってしまうこともある。」

 

ということを毎回念頭に置いて指導するようにしています。

 

 

どういうことかというと、

最初は全然だめだめだった人ががんばっていくうちに素晴らしい一人前の人間に育つこともあるし、

昔は良い子だったのに、どんどんと堕落したり犯罪に手をそめたりするということ。

 

ですので、最初に態度が悪かった子とか、失敗を何度も行っていく子が、年月をかけて成長しても、

最初の悪いイメージのまま、その子や部下や仲間に接しているのは、相手に失礼だと思います。

 

過大評価をする必要はありませんが、

過去の失敗は置いておいて、

現時点でのその子の状態や能力を評価するのが教師の正しい役目だと・・。

 

 

また、逆に最初は先生の言うことをよく聞くいい子だった子が、

次第にやる気をなくしたり、いじわるなことを同級生にしていたりすると、

「あなたはそんな子じゃなかったはずよ!」と過去をひきだして説教しがちですが、

それは現時点のあれているその子を見ていないし、何の助けにもなりません。

その子をこのようにさせた原因を突き止めそれを除去するのを努めつつ、

その子がいい子だろうと悪い子だろうと同じように愛す!のが教師の役目だと思っています。

 

 

良い子じゃないと愛さない、なんて、教師の身勝手ではないでしょうか?

 

 

どんなときでも愛してやって、その子がうれしいときは一緒に喜んで、

つらい時は支えになってあげることが大切だと思います。

 

 

 

変わろうとした人、変わった人に、過去に影響されて、その人自身を見ていないのは、

「未来をつくることができる」教育者ではありません。

過去にしか生きることができない、過去のレンズを通してしか人を評価できない人なのです。

 

私もこのような教育者にならないように、

「人は本気になったら変われるし、いやおうなく変わってしまうこともある」ということを忘れずに、

今を見て生きていきたいと思います。

未来をつくるっていくのが、教育者の役目ではないかな?と。

 

 

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授業形式は解説中心か問題中心か?

2013年01月25日 23時56分25秒 | 教育者としてのつぶやき

今回は,授業の形式について。

授業の形式は

 

「解説」が中心が良いのか,

「問題」が中心なのが良いのか?

 

というお話。

 

 

問題演習をさせて生徒のわからないところだけを教えるということが好きな先生もいれば、

とにかく解説していきたい・授業中に自分の知識を生徒に教えていきたい!

という先生もいらっしゃいます。

 

私はどっちも楽しくて好きです。

 

でも、

問題中心だと「ああ!この問題の解き方がわからない!」という不安があり、

解説中心だと「どうやって話を進めていこう・・。」という悩みがあったり。

 

解説中心の方が精神的にも体力的にも(声がかれたりと)辛いことが多いですが、

そちらの方が生徒との交流が密だったり・・。

逆に問題中心だと,自分がわからない問題があると怖い時があったり・・。

 

だから先生によっては、楽なやり方の方ばっかりやったりする人もいるようで・・。

 

自分がわからない問題や解説が面倒な問題だったら、「この問題は読んでおけばわかる。」と言って逃げたり、

社会の文化の歴史の解説がめんどうだ(文化の違いがわからない)から

「ここはテストにあまり出ないから大丈夫。教科書読めば理解できる。」とか言ったり・・。

 

なので

その場に応じて、問題中心が良いのか解説中心がいいのか、

を見極めることも教師の役割の一つだな~と思います。

 

社会科だと,

最初に習うときは解説中心で,

テスト前には問題を解きながら,間違えやすい内容を指摘したり,

どこがテストに出やすいかを教えたり,と。

 

その場に応じて,色々と授業形式を変えられる教師になりたいです。

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「むずかしい」「わからない」という言葉の示す意味

2013年01月13日 22時42分10秒 | 教育者としてのつぶやき

昨日も,たくさんのアクセスありがとうございます♪

訪問者数でもランクインできました。

 

 

さて,

今日は,

生徒さんの言葉でこの子は

どれだけ社会に真面目に取り組んでいるか

がわかる言葉について,1つ例をあげて説明したいと思います。

 

たとえば,江戸時代の3大改革(享保・寛政・天保の改革)あたりってややこしいですよね。

その分野について,A君・B君は,それぞれこのような言葉を発しました。

A君「江戸の3大改革,わからない!」

B君「江戸の3大改革,むずかしい!」

 

さて,ここで問題です。A君・B君のどちらがまじめに勉強していると思いますか?

 

 

答えは,B君です。

 

なぜかというと,「むずかしい」という言葉には,

一度は自分なりに理解しようとした,という姿勢が取れるからです。

それに,深読みしたら,「むずかしいけれど,しっかり点数は取れる努力はした。」という

こともありえるからです。

 

ですので,「むずかしい」と発した生徒には,

「具体的には,どこらへんがむずかしい?」と聞くと,

たいてい,「えーと,株仲間に対する政府の扱い。」

とか「享保の改革と寛政の改革が似たりよったりの内容が多くて・・。」

など,きちんとした回答が返ってくることが多いです。

こういう場合は,先生の方も,その内容を詳しく説明することができます。

きちんと,頭に自分なりのベースをつくってくれているので,私の説明を受けて,

さらに理解が深まり,それを彼らは忘れません。

 

 

しかし,

A君の「わからない」という言葉は,

なんとなく授業で習ったときに頭がごちゃごちゃになった」という程度の状態のことが多く,

ほとんど「自分なりに教科書を読むなりして,理解しようとする姿勢」が見られません

 

なので,先生が「わからないってどこらへんが?」と聞いても,

「もう何もかも!」という返答が多いです。

 

そこで,1からもう一度説明するのですが,

結局,また頭がごちゃごちゃになって終わりだったり,

その場だけわかった気になって,

結局そのあと,自分で努力して理解や暗記をしないものなので,

数日たてば,「やっぱりわからない!」という状態に逆戻り。

そういう子にかぎって「社会は暗記科目だから,直前に勉強すれば僕だって点数とれる。」と

言うのです。(全員ではないですが・・)

でも,理解してこそ暗記できるわけであるし,

その直前の勉強する気力もないから結局点数がとれない。その繰り返しなんです。

 

もちろん「わからない」と言っている子に,親身になって説明すると,

それで理解できて,出来る子はいます。

 

しかし,いつでも「むずかしい」ではなく「わからない」という言葉ばかり

連発している子は

危険の可能性が大です。

 

私の場合もそうで,「これ,わからん!」と思っているうちって,よく考えてみると

努力してないんですよね。

それに気がついて,自分なりに本(や教科書)を読んでいくと,

ある程度分かってくるんですよね。不思議なことに。

それでも,一筋縄に簡単に理解できないものは「むずかしいな~」と思いますが,

「むずかしい」と思ったとたん,「わからに」という言葉はもう出てきません。

 

 

ということで,「むずかしい」を言ったから良し,

「わからない」と言ったからダメ,

とは言いませんが,

もし自分が「わからない」という言葉ばかり連発していたら(思っていたら)

自分はちゃんと理解する努力しているか,を見直してみると良いかもしれません。

これは,社会だけでなく,どの教科でも言えるし,大人になってからでも同じことが

言えると思います。

 

 

 

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的確な判断と行動

2012年10月11日 22時45分17秒 | 教育者としてのつぶやき

またまた,なかなか更新できず、すみませんでした。

先週は,体調を崩してしまいました。幸い,2日間の休養で元気になりました。

 

旦那が出張で遠くに出かけているときに,突然,腹痛に襲われました。

お腹から胸まで突き刺すような痛みがあり,冷や汗が出て,手が震え,という状態に。

おそらく1人なら時間をかければ大丈夫だったと思いますが,近くに寝ている娘(10か月)が・・。

「もし娘がお昼寝から起きたら,娘を抱けない,ヤバい」と思いました。

 

そこで,実家の母に電話。

「お腹が痛い!」と私が言っただけで,

母は「すぐ行く!」と言って電話を切り,

30分で駆けつけてくれました

 

 

母は,私が「来て!」と言う前に,的確に状況を判断し,どう行動すればいいのか,がわかったのです。

赤ちゃんの面倒を見る人が必要で,それは時間がせまっているものだと。

 

言葉を発するだけで苦しかった私には,それがとても救いでした。

 

母のこのような的確な判断は,教育者としても大切な能力だと思います。

 

子供たちは,困っているとき自分たちの希望や要望を大人に的確に伝えられません。

希望や要望が自分でわかっていないときもあります。

 

それを,

子供たちの性格や言葉や行動,声のトーンや表情から

先生や親などの大人が予想して行動することも大切だと,

改めて思いました。

 

 

 

 

 

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記録を残すこと

2012年05月10日 22時56分16秒 | 教育者としてのつぶやき
今月で娘は六ヶ月になります。

育児日記も前期が終了になり、後期の日記に日付を書いていると嬉しくなります。
(育児日記とは、授乳時間や授乳量などを記録する日記で、生後六ヶ月までを前期、その後一歳までを後期に分けていることが多い。)



私は、育児日記は一応毎日つけています。
ときどき忙しくて数日空欄になっている部分があったりはしますが、ほとんど埋まっています。

他の人に聞いたら、育児日記をつけていない人もいるみたいですね。
「忙しくて途中でつけるのをやめた。」と。

私も絶対そうなるだろうなぁと思っていました。日記もいつも三日坊主だったので。

でも、続けることができたのはどうしてかな?と考えたところ、

①極度の心配性



②ペンを毎日持たないと不安なこと


③塾講師時代の習慣が残っていたこと

だと。




①の極度の心配性について。

私はとにかく赤ちゃんが死んでしまわないか不安でしょうがないんです。二回流産し、やっと授かった子。これ以後私は授からないかもしれない。そして何といっても、娘が愛おしくて愛おしくて、悲しい別れを絶対にしたくない!と。

なので、とにかく何か変化がないか、また何かあったときに病院で話せるように書き留めなきゃ、という思いが強いのです。


②について。絵を描くか、手書きを問題集をつくるかするときが私の至福のときなんです。育児中に絵はなかなか描けない。問題集も出産前に作り終えているので、毎日ペンを持つ理由がなくなってしまいました。
なので、育児日記を書くことでペンを握る機会を得たのはよいストレス発散になっています。




③について。
塾講師時代には、毎授業ごとに、出席簿、授業をしたページ、宿題にしたページ、などの授業記録をつけます。それがないと、万が一遅刻してきたり欠席した子が授業内容や宿題を聞いてきたとき、私がその場にいなくても他の人が伝えられるから。また、急病で先生が突然休んだときに代理の先生が授業記録を読めば何とかなる、という利点も。
そのため、もし私が疲れで倒れたり、突然の事故死をしたときに、夫や母が私の代わりに育児をする際に記録は残しておく方が良いというのもありまして。

もう記録を書くのが、習慣になって人生の一部になっているので、書かないと気持ち悪いんですよね。




ということで育児日記は続けられそうです。


記録を残すのって仕事では大切だと塾講師時代に思いました。
育児も大切な仕事なので、がんばりまーす。

指摘されることについて

2012年02月03日 15時30分02秒 | 教育者としてのつぶやき
ときどき、コメントで、記事の内容の間違いを指摘されることがあります。

それぞれ、頂いたお言葉は真摯に受け止め、訂正すべきだな、と思うところは訂正しております。

ただ、間違いの指摘の内容によっては、「うーん、どうしよう・・」と悩むことがあります。
研究者レベルだと、おかしいな、と思うことだが、まだ世間を知らない子供たちには、このような表現の方がわかりやすいのでは?というとき。
子供たちに間違った知識を植え付けている!と言われることもあるので、そこは確かに、と思うことはあります。なので、極力、気をつけて表現はしたいと。

ただ、実はそれ、言い出したらキリがない上に、指摘されるのを恐れ、指摘されないよう説明すると、かえって子供たちにはわかりづらく、歴史そのものに拒否反応されてしまうことが経験上何度もありました。

それに、大半の生徒が、勘違いしてくれるほど、しっかり私の授業内容を覚えてくれるわけではないので、そちらの方が現実的には問題なんですが・・。
ただ、覚えている子は覚えてはいる。


私は比較的授業内容を覚えている方で、大学生になって、「あれ?あの予備校の先生が言ってたのは間違いでは?」と気がついたときもありました。
しかし、わかりやすく説明をしようとした先生が、間違った説明をしてしまったことで、私は、その先生を恨むこともなかったし、それで恥をかいたこともありませんでした。それよりも、あの内容をこういう風にかみ砕いて説明してくれたんだ、と感動する方が多かったです。


ただ、間違いがあって良いわけではありません。

なので、もちろん直せる部分は直す努力はしますが、指摘されることを恐れ、わかりやすく説明することをおろそかにはしないようにしようと思います。

先生業をやっていると、指摘されることはよくあって、それに傷ついて恐れていたら、先生業はやれない、というのも現実です。


あと、頂いた間違い指摘コメントは、内容次第で公開しなかったりします。
理由は、仮にコメント欄で炎上してしまい他のお客様がこちらのブログを敬遠されてしまう心配があるからです。
また、直接の知人の方ならともかく、まだどういう価値観をお持ちの方なのかわからないお方や、ほぼ初めての方で何のあいさつもなく間違いだけ指摘される方には、どう言葉をかけたら良いかわからなくて。なので、こちらの都合で、公開&コメ返し、が出来なくてすみません。

また、間違い訂正も、パソコンがないと無理です。ケータイからだと、記事が途中で切れてしまって。
パソコンは、実家だとインターネットにつながらない状況、新居だと忙しくてパソコンに向かえない、という状態なので、訂正が遅れることもありますので、申し訳ありません。


ではでは、私の記事に不満をもたれる方もいらっしゃるとは思いますが、ありがたいことに、気に入っていただける方もいらっしゃるので、あきらめずにブログは続けていけるようがんばりますね!

育児は究極の個別指導?

2011年12月05日 21時51分47秒 | 教育者としてのつぶやき
なかなか更新できずに、すみません。

現在、赤ちゃんの育児に奮闘中です。育児は、責任も重く、不安で心配事も多いですが、予想以上に楽しいです。(まあ、今だけかもしれないですが・・)

育児は究極の個別指導、という気持ちでがんばることにしています。
その子の性格や能力を見極め、その子にあった指導をして個性を伸ばす、ということ。
なので今は、赤ちゃんが何を要求しているのか、どういう性格なのか、をよく観察して探っています。

少しずつ性格がわかってくるのが楽しいものです。


ではでは、また更新できるようがんばります!