香山リカさんという精神科医がいる。左翼文化人であったが、奇行を繰り返しメディアから消えた。そしてネットでまたおかしな行為が暴かれた。
10日に右派団体が行ったデモにまとわりつき、夜叉のような顔で、中指を立て(欧米での下品な攻撃的仕草だ)抗議をし、デモに向けて「バカ野郎、豚野郎、ウァー」と叫び続けていた。また映像全編を見ると、周辺の人の騒ぎも異常で、街の迷惑だ。私の愛する東京から、双方の団体は出て行ってほしい。
50才代の精神科医が大きな心の闇を抱え、何かに取り憑かれている。それに滑稽さと気の毒さを感じる。そして香山さんのこの行為をきっかけに、日本の社会運動の奇妙さを考えた。
何のための「デモへのデモ」か?
香山さんが狂乱したデモは「慰安婦問題での日韓合意を糾弾する国民大行進」というようだ。人種差別を掲げる政治団体「在特会」の関係者がいた。私は差別に嫌悪感を抱くので、こうした集団はかかわりたくもない。彼らの行動を批判するのも当然だ。ただし今回のデモは差別がテーマではなさそうなので、その意見表明にけちをつけるのは政治的自由の侵害だ。
余談ながら、ドイツでは右翼の移民反対集会で、左派団体がベートーベンの交響曲第9番を流し、妨害したという。ここの「歓喜の歌」では詩人シラーの詩の一節「生きとし生くなる 人みな友ぞ汝が手の結ばん」と歌われている。中指を立てる日本の「ガラパゴスサヨク」との教養の違いに悲しくなる。(BBCニュース)
日本の差別問題は、現在、それほど社会的な緊張をはらむものになっていない。移民、テロに動揺する欧米ほどではない。日本の社会と世論は総じて健全であり、99.99999999%は人種差別を否定するだろう。こうした団体の政治的影響も皆無だ。こんな変な抗議活動をしたら、目立て、反論の機会を得た在特会界隈が喜ぶだけだ。
そんなチンケな存在に、上記の香山さんのように狂乱する必要はない。彼女と同調者たちの行為には異様な飛躍がある。反差別を唱え、暴力的に反差別行動する集団(しばき隊、アンチレイシズムと称している)の一部は、昨年末「ぱよぱよちーん騒動」や、身元を暴かれて失職するなどの騒動を起こした。(くだらない騒動でネットで調べてほしい。)日本社会の中で、チンピラ扱いされる人々だ。普通の市民は、こんな人たちに近寄らないだろう。
巨悪は他にいるのに、なぜ日本人を攻撃するのか?
問題を高いところから見てみよう。怒りを向けるべき巨悪は他にいるはずだ。
日本における人種差別問題の背景には、朝鮮2国、中国への反感がある。それが高まったのは、いろいろな問題が重なっている。たしかに日本特有の嫌らしい差別意識を持つ人がいるかもしれない。しかし、その理由の中心的なものは、現時点で朝鮮半島の二国が、異常な脅しと、反日・侮日を繰り返すことに、日本全体がいらだっていることにある。そして日本人拉致という犯罪を北朝鮮は現時点でも継続して行っている。
そして北朝鮮の場合には異常な独裁政権が統治している。政治的自由がなく、政治犯が処刑され90年代後半は全国民の1割とされる約200万人が餓死し、貧困に満ちた国の中で独裁者と特権階級が豊かな生活を送っている。日本から帰国した在日朝鮮人9万人、そのうち日本国籍6000人の人の生死が不明である。そして北朝鮮は核兵器で日本、また居住者の在日韓国・朝鮮人の命を脅かしている。
上記写真は朝鮮メディアが公表した、最高権力者の金正恩が、お気に入りの美女楽団「モランボン」と観劇するシーンだ。悲惨な状況にある国の独裁者が、美女を侍らせ、太り、楽しんでいる。おとぎ話に出てくる悪者のような滑稽さを帯びた極悪人が実在する。日本人であっても不快な写真だ。私が仮に朝鮮系の家系なら(確認できる過去はそうした記録はないが)、北朝鮮の人権侵害と暴政、そして独裁者の遊びの写真は、激怒するはずだ。「絶対悪」が存在しているのに、チンケな小物の在特会を糾弾するのは、ずれている。戦う相手が違う。もっと大切な問題になぜ向き合わないのだろうか。
一連の反差別デモでは、参加する質の悪い運動家を、一部の朝鮮・韓国人系の団体が支援している噂がある。本当かは確認しきれないが、「カウンター」と称する行動に参加すると1日数万円の日当が、そうした団体から出ると参加者がネット上で暴露していた。金目当ての人間、また香山リカさんのような日本社会でバカにされる人とつるんでも政治的な力にはならないし、それどころか同じようにバカにされるだけだ。
在日なら、またそれを支えたい日本人なら、在特会などのチンケな差別主義者との闘争よりも、もっと重要な問題に、立ち上がるべきであろう。そして「日本社会の良き構成員」であることを強調し、日本と祖国の架け橋になる動きをするべきであろう。日本のためにも、朝鮮2国のためにも、日韓を混乱させている慰安婦のデマの是正、拉致問題に荷担した朝鮮総連の解体、国民を虐殺して国際社会を混乱させる北朝鮮の体制打倒が必要なのは明らかだ。それによって日本人の懸念と怒りを取り除いた上で、差別を押さえ込まなければ、問題は解決しない。在日の取り巻きも、日本のメディアも、そうした事実を言わない。結果として甘やかしている。
もちろん在日の人々は、個人としてそう考える人、日本社会で良き構成員として働く人が大半であると信じたい。ところが不思議なことに、南北朝鮮双方の居留民団からは、ホームページを見る限りそうした声がない。(朝鮮総連、民団)。日本批判と権利の主張ばかりだ。朝鮮系の2つの居留民団は、重要問題に目をつぶり、日本人の反感を買う「香山リカ」的日本人と協力する。社会集団として一種の自滅行為であり、政治センスのなさ、間抜けさは救い難い。
これは世界的に見て、異様な在外居留民組織の行動だ。今、欧米のイスラム団体は「良き市民」であることを強調しているし、第二次世界大戦期に日系移民の志願兵は米国のために戦った。孫文の辛亥革命を支えたのは、日米在住の華僑だ。朝鮮系の組織からは自省の言葉、建設的な日本への提言、祖国を良い方向に変える意欲がない。不思議な人たちだ。朝鮮の異様な文化なのだろうか。
一連の騒動への対応は、問題設定も、解決方法も間違っている。また香山さんのような憎悪は、そうした本質的な問題解決を逆に妨げる。
ばかばかしい騒動をやめ、建設的な対話を
「「在特会」と「アンチ」界隈のコップの中の嵐」とも言えるようなつまらない騒動。私はこの社会的な意味はたいしてないと考えているし、登場人物の大半を冷笑し、問題を分析できない思考の未熟さをかわいそうに思っている。
しかし、今回わざわざ取り上げたのは、わけがある。同じようにずれた政治運動が、頻繁に今の日本で現れている。それに警鐘を鳴らしたいためだ。香山氏の危うさを感じる写真と、奇妙な叫びは問題を考えるきっかけになるだろう。
最近の日本では、デモ、メディア向けパフォーマンスが、盛んであるように見える。実は以前からあったものを、メディアが反権力に偏向した報道のために取り上げる頻度が増えたにすぎないと、私は考えている。左派の政治活動、また支持はそれほど盛り上がってはいないし、運動のダメさも以前からあったままのようだ。反原発、反秘密保護法、反安全保障法制、反沖縄基地。それら反対運動の姿は、この反差別運動と同じような未熟さを伴っている。本質からずれ、騒動が変な方向に拡大している。そして参加者も重なっているらしい。
どの社会問題も本質的に考えるべき論点は、「国民の生活での利益拡大と幸福の追求の支援」である。それなのに一連の騒動は「安倍が悪い」など、闘争のための闘争になっている。何が本質か見えないのだ。前述した反差別騒動が、在日韓国・朝鮮人の人権問題の解決に資するどころか、過激化によって問題は混乱している。同じように他の社会運動も、日本のエネルギー問題にも、安全保障問題にも、まったく役に立っていない。
哲学者のニーチェは物事の認識について、「樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら。それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ」と例えを使った。この言葉通り、枝葉の現象にとらわれずに問題の本質を考えること、そしてそこから生まれる結果を考えることを、社会問題に向き合う際に、私たちは心にとめるべきだ。そして結果の充実を目指す建設的な対話や取り組みを重ねなければならない。人生は短く、時間や金など投じる資源は限られているのだから。
無意味な社会騒擾は、なくしていかなければならない。そして騒ぐ少数の人たちを増長させてはいけない。こうした人々は、私たち仕事に忙しい普通の市民を、自分の引き起こす騒ぎに巻きこもうとする。
そして問題に向き合ったときに、香山リカさんの姿を思い出してみよう。こうした社会運動は、異様な面を持ちがちであることに気づくためだ。
石井 孝明